【マンガ】『BE BLUES! 青になれ』(33巻)—あやうく自分の才能に疑い持つとこだったぜ
『BE BLUES! 青になれ』田中モトユキ / 小学館
⇧2018年11月16日発売。
<桜庭というキャラクター>
このマンガで桜庭(↑表紙)というキャラクターが一番好きです。
傲岸不遜を体現する少年。
チビだし体力がないけど、ボールを扱うテクニックは天才的。
自分の感覚的な超絶テクニックを駆使して今までやってきたので、
チームプレイは一切しないしできない。(パスも出さない。)
そんな彼が最近の試合でメチャクチャにやられてしまい、壁にぶつかります。
自分のスタイルをこのまま貫いても突破口が見えてこない。
死ぬほどプライドの高い彼がついにコーチに指導を仰ぐことを選択します。
上手くなる、勝つためには仕方ない。
チームプレイもやろうという心構えに変わります。
オフ・ザ・ボールの基礎について練習するわけですが、
サッカー素人の僕でも分かりやすく描かれていて面白いです。
「オフ・ザ・ボール」というのは、ボールを持っていないときの動き方のことです。
この巻でいうとFWのパスのもらい方。もらう位置。マークのはずし方。
サッカー選手ってこんなこと考えながら動いてたんだ~と感嘆しました。
いかにフリーの状態でパスを受け取れるかってことですね。
大変だなぁ・・
最近は、気付いたらサッカーマンガをよく読んでいます。
若者(マンガ読者層)には今、野球よりもサッカーが人気です。
昔はサッカーよりも野球の方が人気だったはずなので、野球マンガの方が多かったのではないかと推測します。今はサッカーマンガの方が多いのではないでしょうか。
そんな中でも少年マンガで王道路線のスポーツものでやっているのがこのマンガです。
著者の作品履歴はすごいとしか言いようがありません。
週刊少年マンガ誌で「バレー」、「野球」、「サッカー」を描いていて、しかもそれらすべてがヒットしているのです。
スポーツマンガの真髄を極めた作家といってよいでしょう。
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【エッセイ】『ハッカーと画家』—違う分野でも、上手い人にはどこか共通点がある
『ハッカーと画家』ポール・グレアム / 訳:川合史朗 / オーム社
「アイデアというのはゼロから生み出すものではなく、何かと何かの組み合わせだ」
ということを『シャーマンキング』の武井宏之氏がおっしゃってました。
確かにそうなのかもしれません。
ゼロから何かを生み出すのは至難の業ですが、適当な何かを組み合わせればアイデアになるのだったら、アイデアを考える心理的ハードルは低くなります。
もっと気楽に考えていいんだよってことですね。
ただ、ありきたりな組み合わせだとありきたりなアイデアしか生まれません。
その組み合わせ方が難しいわけですが、考えるのは楽しいものです。
「ハッカー」と「画家」とは珍しい組み合わせです。
決して交わることがないような無関係なイメージがあります。
しかし珍しいからこそ共通点が発見できたときは面白いし、斬新な視点を獲得できます。それこそがアイデアの価値だと思います。
著者はハーバード大学で計算機科学の博士号を取得し、デザイン学校やフィレンツェの美術学校で絵画を学んだそうです。
つまり「ハッカーと画家」とは著者のことだったのです。
こんな経歴をもった人は世界でもまあいないでしょう。
こういう方の思考というのはそれだけで希少価値がありますが、単純なエッセイとして見ても普通に面白い内容です。(読者を挑発している。)
そもそも日本で蔓延している誤解として、「ハッカー」という言葉の意味は、コンピュータに侵入する人のことだと思われています。
プログラマーの間では優れたプログラマーのことを指します。
魔法使い、ウィザードと同じような意味で使われます。
詳しくは『王様達のヴァイキング』(さだやす)をお読み下さい。
←ハッカーと投資家コンビがITで世界を獲る話
著者によれば、ハッカーは画家や建築家、作家と同じ、ものを創る人々だそうです。
ハッカーも画家も上手い人には共通点があって、大枠を書いてから細部を描くそうです。まずは「アタリをつける」ということですね。
計画を練ったり、準備を怠らないということではなく、
下描きで何本かの線を引いてから、本番でそのうちの1本を選択するということです。
すいません、上手く説明できません。
『ライジングインパクト』(鈴木央)でランスロットと黒峰がパター対決するシーン。
黒峰のパターの狙い方みたいな感じという例えはさらに分かりにくいでしょうか?
←ゴルフマンガ。週刊少年ジャンプ連載。
【小説・ミステリー】『眼球堂の殺人』―昔ながらの「陸の孤島」モノ
『眼球堂の殺人』周木津 / 講談社
「〇〇堂シリーズ」の第1作目です。(メフィスト賞)
綾辻行人氏の「館シリーズ」に似せているのでしょうか。
解説によればトリックは先行例があるそうですが、僕は知らなかったので普通に楽しめました。
トリックを多く知っているのも考えものですね。
まあ僕は既読のものでもトリック、ストーリー、キャラクターと片っ端から忘れていきますので、覚えているトリックがあまりありません。
登場人物名なんて読んでいる最中ですら忘れていきます。
普通はもっと覚えているものなのでしょうか?
この小説のトリックはダイナミックで、数学的モチーフと眼球という生物学的構造のモチーフがうまく融合して面白い設定になっています。
天才建築家の邸宅である眼球堂に、各分野で天才といわれる学者が招待されます。
同じメフィスト賞の『クビキリサイクル』(西尾維新)と似てますね。
主人公は数学者。(探偵役)
第1の殺人事件が起こったあとに、連絡手段と帰路が絶たれます。
眼球堂に閉じ込められた招待者たち。
さらに次の殺人が起こります。犯人は誰か?その目的は?
陸の孤島というクローズド・サークルが形成され、次々と殺されていく人々。
こういったオーソドックスなミステリーは昨今ではむしろ珍しくなっています。
昔ながらの本格ミステリーの一形式なのに・・・なぜでしょうか?
需要がないのでしょうか?
僕は好きなのですが残念な風潮です。
密室もなく、フェアでもない(本格ミステリーではない)ライトなミステリーが今は流行っているような感じがします。
そういうサラッとミステリーやってるスナック菓子みたいなのもたまにはいいのですが、「密室+本格」といった形式美をガチガチに追求した(硬いせんべいみたいな)ミステリーも面白いですよ。
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【ノンフィクション】『社会学者がニューヨークの地下経済に潜入してみた』—研究は命がけ
『社会学者がニューヨークの地下経済に潜入してみた』スディール ヴェンカテッシュ / 訳:望月衛 / 東洋経済新報社
「科学的である」ということは「再現性がある」ということです。
僕には偏見があって、文系学部の分野は科学的ではないのでは?と思っています。
文学部はもちろん、経営学、経済学、社会学、心理学・・・ほか。
統計は使うのでしょうが、そんなのはデータを扱うどの学問でも使います。
京極堂シリーズで中禅寺秋彦が
「フロイトは科学ではない。文学だ」と言っていたのには成程と納得しました。
「科学的ではない」からといって「学問ではない」とは思いません。
つまり価値がない、意味がないとは思いません。
しかし、この本で著者が批判されているように、
うわべだけのデータ採取・アンケート収集で論文を書き散らかして出世して、何かを成し遂げた気になって、象牙の塔でふんぞり返っている学者もいるそうです。
そういった輩は「学問をしている」とすら思いません。
税金や助成金の無駄遣いです。
著者はシカゴでの実地調査による研究で業界内で名を上げて、ニューヨークにやってきます。今度はニューヨークの街で地下経済の研究をしようと。
コロンビア大学に移籍した著者は、ニューヨークの街をたゆたうように流れ、10年の歳月をかけて人々に話を聞いたり凄惨な状況を目にしていきます。
著者は、現場から距離をとっていては経済の裏の側面は見えてこないと考え、ヤクザ、売春婦、その元締めなどに頻繫に密着し、その生き方を観察していきます。
毎週のようにアメリカの経済指標が何かしら発表されていますが、それは表の経済のことであって裏の経済のことは計上されていません。一説には、裏の経済は経済全体の40%を占めているそうです。
地下経済を見ようとしなければ、それは真実が見えていないということになります。
グローバル化によって売春のシステムも変わってきたそうです。
昔は底辺の貧困層といわれる人たちが生活費のためにやっていたことだったのに、
今は中流層、上流層からの参入者もいて組織的なビジネスと化しているそう。
これは日本でも同じ気がします。
貧困層の相互扶助システムもシカゴとニューヨークでは全く違うらしいです。
警察や自治体がアテにならないのは同じですが、コミュニティの形成方法が異なっていて、著者がそれに気が付くまで結構時間がかかりました。
しかし地下経済に長いこと触れ続けたからこそ見つけられた真実。
実地調査をないがしろにして、テキトーなデータ収集しているだけの学者には知ることも理解することもできない事実を発見できました。
著者はけっこう命がけで、肉体的というよりも精神的にボロボロになっていきます。
ひどい状況にも目を背けずにそういった人々と長く過ごせば、現実のやりきれなさに絶望し、無力感も蓄積していき、どんどん沈んでいくのは当然かもしれません。
心を凍り付かせたままなら傷つかないかもしれませんが、そうしたら人々は彼を信用して多くを語ることはなかったはずです。
研究論文というよりもルポといった方がいいかもしれません。
10年かけた労作です。
お疲れ様でした。
【小説・SF】『ダスト』―ゴキブリやアリが消えたら地球はどうなるか
『ダスト』チャールズ・ペレグリーノ / 訳:白石朗 / ヴィレッジブックス
SFのジャンルの一つとして「災害シミュレーションもの」があります。
小松左京の『日本沈没』や『復活の日』などがそうですね。
(他にも多くあるはずですが、例がパッと思い浮かびませんでした。)
大地震や洪水などの天災によって都市や国が崩壊してしまい、
そこで暮らしていた人々が逃げまどい、残り少ない資源を奪い合い、
政治や経済の社会システムをなんとか立て直そうとするものです。
この小説はそれです。
ある日、昆虫がいなくなっていることに人々は気が付きます。
(それまでにも兆候はあったけれど、そこまで注目されていなかった)
ゴキブリやアリがどこを探しても全く見当たらない(死体もない)。
原因を追求しようとするより先に、各都市で黒い霧が発生してそれにのみ込まれた人々は死んでいく現象が起こります。
霧の正体は数種類の一般的な「ダニ」でした。
本来は昆虫がダニを捕食していたのですが、昆虫が消えてしまったためにダニが大量発生したのです。ダニは肉食で昆虫の死体などを食べたりしていたのに、エサが不足してきたために人間を襲うようになりました。
家の扉をどんなにきつく閉めていようとどこかから必ずダニは侵入してきます。
怖いし気持ち悪いですね。
大勢が外出できないので経済はマヒし、輸送は中断されて食糧供給もストップ。
農業や畜産業も衰退し、食糧生産も絶望的。
街の治安は悪化し、政治家たちは有効な対策を立てられない。
ついにインドーパキスタン間で核爆弾が使用された。
アメリカの潜水艦も水中核爆発で消滅した。
どこの国が犯人か分からない。報復している場合ではない。
昆虫が消えてしまった原因を究明したいけれどそんな時間は残されていない。
なんとか生き残るための対策を立てないといけない。
人類にはもう半年先の食糧が確保できるかも疑問である。
人類滅亡に向かって事態は悪化の一途をたどるわけですが、
こういう小説を読み進めていくときに読者が気になる点は、
・最終的に人類は生き残れるのか
・復興のための対策案は?
・そもそもの原因は何だったのか?
ですよね。
実は、昆虫の大絶滅というのは3000万年周期で起きていることらしいです。
原因は「プリオン」やら「遺伝子時限爆弾説」やら色々提起されますが、よく分かっていません。地球の生物の生態系はそこでガラッと変わっているそうです。
我々は、ゴキブリやシロアリなんかは害虫としか認識しておらず、「絶滅したらいいのに」と願ったことがある人も多いのではないかと思います。
僕もそう思っていました。
しかし彼らは地球における免疫系ともいえる存在であり、バクテリアだけでは分解できないゴミ・死体を食べてくれているそうです。
彼らがいなければ生態系が崩れて、あらゆる動物・植物が生存できなくなってしまう。
地球の生物多様性というのは、個々の生物がきちんと役割をもって生態系を保持していたという点でも重要だったのですね。
ゴキブリやシロアリを毛嫌いして申し訳なくなりました。
僕の部屋に出現しなければもう文句は言いません。
森で幸せに暮らして下さい。
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【マンガ】『バトゥーキ』(1巻未発売)—ダンスなのか格闘技なのか
『バトゥーキ』迫稔雄 / 集英社
↑2019年1月18日に1巻発売。
不思議なマンガです。
序盤では何がしたいのか全く分かりません。
ヤングジャンプに連載しているわけですが、人気をすぐに獲得するのは難しそうだと思いました。そういう構成になっていないのです。
マンガという形態は連載時に人気を獲得できなければ作品が打ち切られるので、どうしても分かりやすくて第1話から圧倒的に盛り上がる展開が編集部から求められます。
そういう傾向に対して『バクマン。』で福田さんが批判していますね。
「最初から飛ばすんではなくて、もっとジックリ作っていくやり方もあるはずだ」と。
序盤から極端に盛り上げないのは、作者的には自信があるからなのか。
編集部が作者を信じているからか。
あるいは、こういったマンガの作り方に対して脱却を図っているのか。
『ジョジョリオン』(荒木飛呂彦)でも『H2』(あだち充)でも
1巻は非常にスロースタートで作品世界の説明にページが割かれています。
読者としては最初はモヤモヤしますが、そういう作り方もあっていいと思います。
「バトゥーキ」とはブラジルの格闘技とダンスが合わさったもののようです。
ネットで調べてもよく分かりませんでした。
カポエイラも格闘技だと思っていたのですが、ダンス要素も合わさった伝統芸能がカポエイラらしいです。
カポエイラの基本がバトゥーキということなのでしょうか。
バトゥーキの中にカポエイラも含まれるということなのでしょうか。
技っぽい「型」はあるみたいですが、別にそれは習得すべき基礎技術というわけでもない感じという印象を受けました。
格闘技のように点数や勝敗があるわけでもなく、
一般的なダンスのようにリズムに合わせて踊らなくてはいけないわけでもない。
相手との対話、コミュニケーションといった要素が本質的な部分のようです。
『昴 スバル』(曽田正人)の1巻で主人公・すばるが弟のために踊っていたように、
ダンスとは身体表現・感情表現であって、スポーツではないし競技でもないし、
実はリズムも本質的には必要ないものなのかもしれません。
さらに言えば、「踊る」とうことは「祈り」であるのかもしれません。
このマンガの主人公・一里(いちり)は、毎日門限通りに帰宅し、両親の言いつけを守って生活しています。本当はやりたいことがいっぱいあったのに、厳格な父親があれも禁止これも禁止で不自由さ・窮屈さを感じています。
「自由」というものに憧れていた一里は、バトゥーキに出会い、ホームレスの先生に習い始めます。バトゥーキは一見しただけでは何をやっているのか不明です。
踊りとも格闘術とも判然としないものに惹かれていくわけですが、その「分かりにくさ」が「自由」だと感じ始めます。
このマンガはどこへ向かおうとしているのでしょうか。
競技性がないのであれば、哲学へ進んでいくのでしょうか。
今年1番の謎マンガです。
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【マンガ】『ジョジョの奇妙な冒険』(47巻)―ジョルノ・ジョバァーナには夢があるッ!
『ジョジョの奇妙な冒険』荒木飛呂彦 / 集英社
ジョジョ好きの人がされて嬉しい質問は
「一つだけ選択できるとしたら、何のスタンドが使いたい?」です。
まず初めにみんなが思い浮かべるのが、時間系のスタンド。
つまりディオの「ザ・ワールド」。
いやいや、5秒だけ時間止めてどうすんの?
逆に、使いたくないスタンドも結構ありますよね。
「イエローテンパランス(黄の節制)」は気持ち悪いし、
「ザ・サン(太陽)」は別に必要ないし、
「呪いのデーボ」なんて絶対嫌だし
「シャボン・ランチャー」は見た目はカッコイイけど仕込みが面倒そうだし。
(そもそもスタンドじゃないし)
思い返してみれば、第3部は「自分では使いたくないけど、敵として使われたら嫌だな」系のスタンド能力が多い気がします。
「ダークブルームーン」なんて海でしか役に立たないじゃないか!
それに対して第5部では、敵も味方も使いたくなるスタンド能力が多い気がします。
ブチャラティの「スティッキィ・フィンガーズ」こそ、僕が一番使ってみたいスタンド能力です。絶対に楽しいし便利。
今、ジョジョ第5部がアニメ放送中ですね。
47巻は第5部の1巻目です。
舞台はイタリア。
あの宿敵・ディオの息子であるジョルノ・ジョバァーナが主人公。
彼にはギャングスターになるという夢があった。
ギャング組織「パッショーネ」でボスになるために幾多の敵を倒してゆきます。
この巻ではギャング組織のチンピラをジョルノが倒してしまったため、
組織の幹部であるブチャラティがジョルノに報復にやってきます。
二人ともカッコイイですね。(対決シーン)
面白いマンガというのは、主人公も敵も魅力的じゃなきゃいけない。
読者はそこにシビレるあこがれるわけですが、
作者としては「主人公もカッコよくさせる。あらゆる敵キャラも魅力的にする。両方やるというのはそうムズかしい事じゃあないな」といったところでしょうか。
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【小説・SF】『マルドゥック・スクランブル』―これを超えるブラックジャック(カジノ)小説は絶対にない!
『マルドゥック・スクランブル』冲方丁 / 早川書房
カジノでのブラックジャックにおいて、一発退場モノの反則は「カウンティング」と呼ばれる熟練技です。
カウンティングとは
これまでに使用されたカードを記憶して、未使用カードの中(山)にどんなカードがどれくらい残っているかを読む(知ろうとする)ことです。
素人には難しそうに思えますが、プロのプレイヤーならやろうと思えば出来る技術だからこそ禁止になっているわけですよね。
(1デック(組)の中にはAが4枚、絵札が12枚あります。実際のゲームでは1デックでは行われず、6デックを一山としたり様々です。当然のことながら、1デックでやるよりもはるかにカウンティングが難しくなります。)
大金のかかった真剣勝負をするわけなので、緊張感もハンパではありません。
そんな中で冷静にカウンティングするのは、プロでも難しそうです。
この小説ではバリバリにカウンティングします。
カジノ側もイカサマをしてくるので、対抗戦術です。
ポーカーやルーレットという前哨戦はありますが、それはカジノでチップを稼ぐための小手調べ的な要素に過ぎません。ブラックジャックにしろ何にせよ、チップが多くあった方が有利なのは間違いありませんから。本番に向けて資金を増やすのは当然です。
著者が自らの意志でカンヅメになり、命を賭けて書き切ったと自負するのに十分な内容です。この小説を読んだ後は、ブラックジャックを扱った他の小説は確実にショボく見えます。
確実!そう、コーラを飲んだらゲップが出るくらい確実ですッ!
少女娼婦バロットと万能兵器に変身できるネズミのウフコック。
このコンビが自身の存在価値と生命を賭けて敵と戦います。
前半は最強の敵・ボイルドとその刺客たちとのバトルアクション。
後半はカジノでの心理戦。
どちらも非常に質が高く上手い。前半が見事に後半の伏線になっています。
ウフコックとのコンビ技でカウンティングを実行するわけです。
(ウフコックは手袋などに変身して、バロットが一人で戦っているかのように、他のプレイヤーやディーラーからは見えます。ズルく思えるかもしれませんが、カジノ側もド汚いイカサマを繰り出してきますので、お互い様です。)
全3巻で、2巻の後半からずっとカジノで対決しています。
こんなに長いことトランプゲームをやっているだけなのに、全然ダレた展開になりません。
恐ろしいほどの熱量が伝わってきます。
『マルドゥック・ヴェロシティ』『マルドゥック・アノニマス』とシリーズ化してますが、この第1作目が最強に面白いです。
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【小説・ミステリー】『Xの悲劇』―正統派本格ミステリー
『Xの悲劇』エラリー・クイーン / 訳:鮎川信夫 / 東京創元社
角川文庫や新潮文庫からも出ていますが、東京創元社版を読みました。
でも創元推理文庫版はもう入手しにくいかもしれません。
(僕は表紙が一番気に入ったから創元推理文庫版を手に取りました。)
出版社によって翻訳者も異なりますので注意が必要です。
古本が嫌な方は、一番新しい角川書店版がいいかもしれません。
(角川版の翻訳者は『ダヴィンチ・コード』でもおなじみの越前敏弥氏です。)
あと昔に出版されたものは、翻訳の言い回しが古臭くて、読んでいて身体がかゆくなることがたまにあります。
そういうリスク回避のためには、本の最後のページの奥付を見て、2000年以降に出版されたものかどうかで判断するとよいと思います。
1990年代の翻訳ものでも若干、言い回しが古臭いときがありますので。
(言い回しなんか気にするのはナンセンスという方もおられるでしょう。
そういう強者の方は何でも受け入れられる器の大きい人なので大いに結構ですが、
僕はダサいセリフ(言い回し・表現)が一つ混じり込んでいるだけで、げんなりしてテンションが下がってしまうので、そこそこ気にしてしまうのです。)
エラリー・クイーンといえば、ミステリーではもう古典なのでしょうか。
代表作は数多く、『Xの悲劇』もその一つです。
ちなみにエラリー・クイーンは二人の作家(従兄弟同士)の合作ペンネームです。
片方がプロットを作り、もう片方が文章を書いていたそうです。
日本人だと、岡嶋二人もコンビ作家ですね。
漫画家だと『東京トイボックス』のうめ氏もそうです。
昔のミステリーで今も読み継がれているものには叙述トリックはあまり見られず、読者に対するフェアプレイ(本格ミステリー)を心がけているものが多い気がします。
叙述トリックは、作者が読者に対して仕掛けるものであって、犯人が探偵に仕掛けるものではありません。ですので、それだけだと「ミステリーを読んだ感」が弱く思えてしまう・・のは自分だけでしょうか。
だから物理的トリックも必ずあってほしいというのが僕の願いです。
「それは現実的に無理でしょ」っていうものはダメですが・・・
この作品では叙述トリックは登場しませんし、読者に対するフェアプレイ精神が守られていて、ちゃんとした物理トリックで読者を騙してくれます。
謎解きも「なるほど~!」と驚かせてくれます。
3つの殺人事件。容疑者の数。すべてがちょうどいい。多すぎず少なすぎない。
オーソドックスかつ正統派ミステリーを読みたい方はオススメです。
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【マンガ】『レイリ』(5巻)―闇夜の撤退戦
『レイリ』岩明均・室井大資 / 秋田書店
やっと出ました。新刊が。
ほぼ1年ぶり。
『HUNTER×HUNTER』並みに刊行スピードが遅いけれど面白い。
高天神城が徳川家康の軍勢に包囲されて、絶体絶命の武田軍(岡部丹波守)。
主人公・レイリは単身、高天神城に乗り込み、恩人である岡部を逃がそうと画策する。
もはや全軍が無事に逃げることは不可能であり、岡部は城に残って囮となり、代わりにレイリたち若者たちを脱出させる作戦を決行する。
脱出部隊を敵の凶刃から護るために、レイリは左右が断崖絶壁の細い道で独り迎え撃つポジションを買って出る。
まずは歩兵、馬上兵、槍、火縄銃と段々強くなってくる敵勢力。
槍は崖下に落ち、矢も尽きて、馬も撃たれてしまうレイリ。
この夜の戦闘シーンは緊迫していて面白いですね
無事、脱出成功しても敵の追撃が止むことはなく、しんがりを務めるレイリ。
しかし減ることはない敵の軍勢。
ついに残った剣も折られる。
数年前に野武士に家族が斬殺されて、自身は犯されそうになったシーンを回想し、死を覚悟するレイリ。
家族が殺された時からずっと、戦場で出来る限りの敵を殺し、自分もそこで死にたいと願い続けてきたレイリ。
恩人の岡部丹波守のために命を捨てたいと思い続けてきました。
早く死んで、家族の元へ行きたい。
そう思っていたはずなのに。
ようやく自分は多くの人に生かされていたのだと気付きます。
だがら「死にたがり」はもうやめます、と宣言します。
それこそが恩人たちの想いに報いることだと。
これまでのやけっぱちのレイリも好きでしたが、生きていこうと決意した彼女はこれからどんな選択をするのでしょうか?
次巻も楽しみです。
このマンガでの織田信長は、主人公側からみたら敵なので悪役顔なのですが
すごくいい味出ています。今まで見てきた信長像で一番しっくりきます。
天下を狙う野心を持ち、奸智に長けた戦国時代の男というのはこういう顔でないと!
冷酷で厳しい、情けなど気にしない男の目はこうでないと。
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