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【エッセイ・評論】『影のなかのロシア』―小説ではないウェルズの言葉

『影のなかのロシア』H・G・ウェルズ / 訳:生松敬三・浜野輝 / みすず書房

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「SFの父」とも呼ばれるSF界の巨星=H・G・ウェルズによる著作です。

有名作品は『タイム・マシン』や『宇宙戦争』。

タイムマシンという設定を小説の中で初めて導入した方です。

でもこの本は小説でもSFでもありません。

だからこそ珍しいので買ってみました。

 

評論文ですが、めちゃくちゃ分かりやすいです。

具体例と抽象論のバランスがいいからでしょうか。文章自体もカッコイイ。

 

内容としましては、

ロシア第一革命(1905年)、第一次世界大戦への参戦(1914年)などでロシア帝国が崩壊へ向けて進んでいた1914年に著者は一度ロシアを訪れ、1920年に再訪しました。

そのときの民衆の様子、社会のありよう、政治政策、主義思想についての記録です。

 

確かに歴史的には、ボルシェビキ(ソ連共産党の前身)はかなりの欠陥だらけで残虐なこともやったのだろうが、この状況下でボルシェビキ以上に明確な目的意識とビジョンを持って社会を修復しようとしていた者たちは当時いなかった。

彼らは最善を尽くしていた、と著者は好意的に書いています。

 

大体、この手の評論は批判に終始するところですが、さすがはウェルズ。

だから面白く読めたのかもしれません。

(1978年出版)

 

【小説・文学】『破戒』—名探偵コナン+湊かなえ「告白」

『破戒』島崎藤村 / 新潮社

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オレは高校生探偵・工藤新一。

幼なじみで同級生の毛利蘭と遊園地に遊びに行って、 黒ずくめの男の怪しげな取り引き現場を目撃した。取り引きを見るのに夢中になっていたオレは、背後から近付いて来る、もう一人の仲間に気付かなかった。オレはその男に毒薬を飲まされ、目が覚めたら体が縮んでしまっていた!

工藤新一が生きていると奴らにバレたらまた命を狙われ、周りの人間にも危害が及ぶ。

阿笠博士の助言で正体を隠すことにしたオレは、蘭に名前を聞かれて、とっさに江戸 川コナンと名のり、奴らの情報をつかむために、父親が探偵をやっている蘭の家に転がり込んだ。(以下略)

 

↑これは映画版『名探偵コナン』で必ず冒頭に流れるキャラクター紹介の定型文です。

 

『破戒』の主人公・瀬川丑松(うしまつ)も世間から正体を隠して生活しています。

正体がバレれても周りの人間には危害が及びませんが、自分が社会から追放されてしまい、実質「死ぬ」ことになります。バレたら親しい人たちにも迷惑がかかるという点を考えれば、危害が及ぶと言ってもいいかもしれません。

彼の正体はエタ(穢多)なのです。

 

エタ(穢多)とは。(2日前の記事にも書きましたが)

 江戸時代の身分制度で士農工商のさらに下位に置かれた身分です。

特に何か悪いことをしたわけでもないのに、ひたすら差別・迫害を受け続けました。

牛などの動物の皮を剥ぐ皮革業や罪人の処刑の手伝いに従事させられ、彼らの存在は忌み嫌われました。汚らわしいものであり、まともな人間として扱われませんでした。

明治になって「新平民」と呼び名は変わったものの、実際は何も変わってません。

 

 この物語の時代は明治後期。

まだガチガチに差別・迫害が行われていた時期です。

 丑松は幼少期から父に「自分の身分を何があっても隠せ。生きられなくなるぞ」と強く言い聞かせられて育ち、それを守り通してきたことで教師としての職を得て生活できていました。

 

コナンには正体を知っていて協力してくれる人達が、少数ですがいます。

しかし丑松は友達はいますが、正体を知っている人は一人もいません。

周囲にはいつだってエタを虐げる光景に満ちていて、それを目にするだけで気が滅入る毎日。自分だっていつバレるか分からないのだ。

最初は快活だった性格も、だんだんと沈み、欝気味になっていきます。

ずっと孤独に耐え続けなければいけないのだから、ストレスは計り知れません。

社会はいつでも自分を放逐する準備ができている。気は抜けない。

 

同じエタの出身でありながら世間と敢然と闘う解放運動家・思想家の猪子蓮太郎を彼は尊敬し、その著作も熟読し、周囲にそのことは知られていまいた。

やがて父が亡くなり、その葬儀のために帰省した丑松は、その旅の途上で猪子と出会う。二人は親交を深めるも、猪子は敵対する政敵により殺されてしまいます。

彼の壮烈な死を目撃した丑松は、正体を隠して生きることをやめる決心をします。

 

終盤、彼は教室で、教え子たちの前でカミングアウトします。

そのあまりに衝撃な「告白」シーンは、湊かなえ『告白』のシーンと重なりました。

「今から私は、皆が驚愕する事実を言いますよ。」という点で同じです。

 

 湊かなえ『告白』では教師と生徒の敵対でしたが、

『破戒』では、教師を辞めて学校を去る丑松を引き留めようとする生徒がいます。

「それでも先生に教えてほしい」と。

それを学校や世間が許すはずもなく、彼は去っていくシーンで物語は終わります。

 

 著者は34歳のときにこれを書き上げ、自費出版で作品を世に出したそうです。

どうしても書きたかったテーマだったのでしょうか。すごいですね。

当時は世界大戦があって中断を余儀なくされつつも、部落解放運動が盛り上がってきたところで、著者も出版するなら今しかないと判断したのでしょうか。

 

新潮文庫版を選びましたが、読みにくそうな部分はルビがかなり親切にふってあって、読みにくさは一切ありませんでした。1906年の作品なのに。

文章が綺麗で、風景描写も情緒があって良いリズムがあって変なクセがなくて美しい。

一流の作家の文章だなと素直に感動しました。

 

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【哲学・思想】『わが闘争』―ヒトラーの頭の中

『わが闘争』アドルフ・ヒトラー / 訳:平野一郎・将積茂 / 角川書店

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理由が何でもいいなら、ヒトラーを批判するのは容易いことです。

彼を「悪」と断罪することに誰も反対はしないし、

そうすることで自分は「正義」の側に容易に立てるからです。

しかし、彼の思想はどこが危険で、どこが大衆を魅了したのかを理解しなければ、

第2のヒトラーが生まれたときに止めることができません。

 

この本は第一次世界大戦後に口述筆記されたものだそうです。

文章を読んだ限りでは、ユダヤ人に対する強迫的差別意識や偏見、あるいは虐殺や強制収容所設置といった行動を除けば、自分と他人に厳しい単なる理想主義者だったのではないかという印象を受けました。

 

しかし研究者の巻末の解説によれば、真実は違うようです。

 ヒトラーは自分の過去を後付けの理由・理屈で言い訳・美化しようと画策しました。

貧しくみじめな若い頃の生活や学生時代の劣等生ぶりを隠して、優等生であり才能もあったが父のすすめで仕方なくこのような進路を歩むことになったのだと嘘を並べたてます。自信家でナルシストの見栄張りだった。

弁舌だけは達者だったが、その他の数学や哲学では落第点を取り進級できないほどのレベルだし、建築や絵画の方面でも本当は才能などなかったそうです。

 

ついこの前の戦争では自分は勇敢な兵士であったような口ぶりで、

「事情が許せば、自分は何度でも戦争の前線に駆けつけてやる。祖国のために」と息巻いていたが、カッコつけているだけで実際はただの伝令兵で大したことをしていなかったらしいです。

 

まともに働いたこともない(バイトのみ)のに仕事の大変さを語ったりもします。

周囲の人間をバカにしているのは、単に周囲に浮浪者が多かっただけで(そういう場所で生活していた)、一般大衆の状況を本当は知らなかった。様々な階層の人達のことを知らなかったのです。

 

まあ、どこの国にもいますよね。

こけおどしの虚言ハッタリ男という類は。

周りからおだてられたら調子にのってカッコつけたがる類は。

 

立派なことを言うだけなら、嘘つきの才能さえあればいいのです。

自分の弁舌に自分で酔えるナルシストである必要もありますが、大して難しくはありません。

 

【歴史】『逆説の日本史4 中世鳴動編』—日本人に根付くケガレ信仰

『逆説の日本史 4』井沢元彦 / 小学館

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口頭で話を聞いているかのような語り口なので、僕のように日本史の知識がほぼ無いシロウトには分かりやすくて読みやすい文章でした。

著者の代表作であり、現在23巻まで発売されています。

 

いきなり4巻を読んでみたのは、ケガレ(穢れ)思想について知りたかったからです。

江戸時代には士農工商という身分制度がありました。

さらにその下位の身分としてエタ(穢多)・非人というカテゴリーがあります。

彼らは牛や馬の死体処理や罪人の処刑時に使役されていました。

主に皮革業(動物の皮を使った製品を作る)に従事していたそうです。

(その辺は、マンガ『カムイ伝』を読めば分かります。)

 

ケガレ(穢れ)とは不浄のもの。キタナイと感じるもののことです。

この本で例を挙げて説明されていたので以下に抜粋します。

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ある親孝行な娘と父親がいたとする。

父が娘に「これは私が20年使った箸だが、お前にやろう。明日から使いなさい」

と言ったとする。娘はどういう反応を示すだろうか。

「ありがとう、使わせていただきます」と答える娘はまずいないだろう。むしろ断固拒否するに違いない。 それでも父が強要したら娘は何と言って拒否するか。

「キタナイ」という言葉だ。「キタナイ」から嫌だ言うはずである。

そこで父が「これは熱湯消毒したし、汚れは一切付着していない」と反論しても、娘はやはり「イヤ」だと言うだろう。仮に、現代科学で開発された最高水準の消毒方法を使い、顕微鏡で雑菌などをチェックして汚れは一切ない、と言っても答えは同じだろう。

(中略)

われわれは、他人が長い間使った箸や茶わんに、その人独特の「垢(あか)」のようなものを感じている。

これがケガレなのである。

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僕はこれを読んで目からウロコが落ちました。

自分はそこまで深い信仰心など持ち合わせていないと今まで思っていましたが、日本人ほぼ全員がこの「ケガレ」思想に強く侵されていることに震撼しました。

おそらくすべての日本人がこのエピソードを理解し、納得し、共感するはずです。

しかし、この感覚が外国人には理解できないそうです。

当たり前といえば当たり前ですが、そんなことを考えもしなかったことに気付かされました。

現代人は昔よりも若干潔癖になってきている傾向を感じてはいましたが、問題はそういうレベルではなかったということです。

 

結局、幻想というか迷信というか、感覚の問題であって科学的ではない。

この感覚が長年、日本人の中で差別を生んできた原因の一つ。

この感覚から脱却するのは相当難しいと思います。

どうしたらいいのでしょうか。

「今の感覚に科学的根拠は何もない」と自分にツッコむ癖を習慣化するしかないか。

 

【小説・ミステリー】『アクロイド殺し』—あまりに有名な殺人事件

『アクロイド殺し』アガサ・クリスティー / 羽田詩津子 / 早川書房

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あまりにも有名な作品なので、未読なのにトリックは知ってるという状態でした。

トリックを忘れた頃に読もうと考えていましたが、無理そうなので諦めて読んでみることにしました。

事実を自分の目で確かめてみるのは大事なことです。

 

ミステリーには「フェアか否か」という視点が書き手に必ず要求されます。

フェアというのは読者に対してであり、「作者は読者に嘘を書いてはいけない」というものです。

厳密には、地の文(セリフ以外の部分)では事実しか記述してはならず、会話文においては本人が勘違いしているかもしれないし、誰かを騙そうとしているかもしれないので嘘を書いてもOKということです。(重要な情報をあえて隠しているのもOK。嘘を書いているわけではないので。)

叙述トリックというのは嘘を書いているのではなく、事実を読者に誤認させるような書き方をすることで成立します。

 

例外は一人称視点での地の文です。

セリフではないけれど、地の文には主人公の思考が描かれています。

これをセリフ扱い(嘘を書いてもいい)とするのか否か。

ルールとしてはOKだけれど、よほど上手く書かないと不自然に見えたり、読者から見たらズルい書き方に見えます。

 

さて、この小説は叙述トリックのミステリーです。

 トリックの肝は、最初は一人称小説と見せかけて、実は手記だったという形式です。

手記ならば不都合な部分は省略していいし、手記の作者自身の思考もどれを書いてどれを隠す(省く)か自由に決められます。

この物語が手記形式だと分かるのは後半です。

途中までは一人称小説と読者に誤認させておき、地の文は事実であると刷り込ませる。

 

このトリックを知った上で読んでいたので、驚きはありませんでした。

当たり前ですが・・。

トリックを知っているミステリーは、読んでも面白さを1割も味わえないことが分かりました。

「ああ、この書き方は何も知らない読者だったら騙されるな~」というポイントを探しながら読むという楽しみだけでした。

 

90年前に発表された小説なので、当時は衝撃的だったのは容易に想像できます。

こういった形式を初めて体験したら感動しますね。

現在でもこのトリックについて何も知らず、未読の方は幸せなのかもしれません。

この衝撃を味わえる余地が、人生でまだ残されているのだから。

 

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【写真集】『読む時間』—人が魅力的に見える瞬間

『読む時間』アンドレ・ケルテス / 創元社

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人が魅力的に見える瞬間ってどんな時でしょうか?

それは人が本を読んでいる時です。

 

例えば電車内で、本を読んでいる異性を見かけたとき、

普段の3割増しくらい魅力的に見えませんか?

同性であっても、「あ、この人こんな顔もするんだ」と2割増しくらい賢く見えます。

 

真剣な表情・姿というのは、見る者をハッとさせるものです。

それをしている本人が、他人に見せるためにそうしているわけではない、

という所がポイントですね。

 

意外に人は、他人に向けて真剣な表情やまっすぐな視線を送らないものです。

だからこそ、人が本を読む姿というのは他では目にすることができない珍しい瞬間であり、飾らない瞬間でもあります。

 

この本は、国や性別、年齢を問わずにあらゆる人の本を読んでいる姿をとらえた写真集です。ありそうでなかったコンセプトですね。

アイデアもそうですけど、本にして売ろうとされた関係者の方々の英断が素晴らしい。

 

人は色んな場所や姿勢で本を読む。

他の動物には真似できない、人が最も人らしい瞬間だと思います。

 

【科学】『天才と分裂病の進化論』—人類は分裂病があったから進化した

『天才と分裂病の進化論』デイヴィッド・ホロビン / 訳:金沢泰子 / 新潮社

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17年前に出版された本なので、現在の精神医学や生物学の最先端の知見をご存知の方にはやや物足りないかもしれません。しかし、最新の学術論文をチェックしている方でも忘れがちな落とし穴を教えてもらえる本です。

 

この本が出版された当時に「統合失調症」という言葉が決められましたが、まだ一般に浸透していなかったので「精神分裂病」と翻訳されています。ですが多重人格のことではありません。(精神医学素人の僕からすれば「統合失調症」もいいネーミングとは思えないのですが、「分裂」という言葉が誤解を生みかねないという懸念から名前が変更されたそうです。)

 

著者によれば、分裂病は2~4つの遺伝子がそろわないと発症しない。そろっても発症するとは限らないそうです。

遺伝子という言葉からもお分かりのように、環境的な要因だけで分裂病になるのではなく、遺伝的な要因との複合的作用によって発症してしまうとのこと。

全世界で分裂病が発症している割合は、国や地域に極端に偏っているのではなく均等に存在しているそうです。

驚愕の事実ですね。なんとなく先進国に多いイメージがありました。

(※論文ならデータが提示してあるはずですが、この本は論文ではないので具体的なデータや参考文献は記載されていませんでした。残念です。)

 

つまり分裂病が世界で同じ割合で発症しているなら、人類がアフリカから分布していく以前から遺伝子は存在したのではないかと著者は推測します。

 

「現生人類」と「ネアンデルタール人などの現生人類以外の原人」との脳の比較によって、人類がなぜここまで進歩できたのかを推理していきます。

 

ネアンデルタール人もそこそこ長い年月生存していたのに、生活スタイルはほぼ変わらないままだったのに対し、現生人類はある時期から脳が大きくなり生活スタイルも進化していったようです。

突然変異によって脳が大きくなったことで、創意工夫を覚えた代わりに、分裂病になってしまうリスクも同時に抱え込んでしまったのです。

どんどん創造性を発揮して狩猟生活から農耕生活に変化し、道具も多く生み出した。

これまでは海や川の近くでしか生活できなかったけれど、内陸の方まで住処を作れるようになった。

 

近代になって工業化し、人々の食生活も変化しました。

以前は魚を中心とした食事が、飽和脂肪酸の多い食事になってきました。

(つまり必須脂肪酸が摂取できなくなってきた。)

 

必須脂肪酸が足りないと脳機能が正常に働かないそうです。

飽和脂肪酸では必須脂肪酸と同じ機能をはたせない。

 

精神障害というのは「ゼロか100か」というものではなく段階的なもの(風邪と同じで弱いのもあればキツイのもある)なのだそう。

昔は必須脂肪酸をきちんと摂取できていたので、発症しても軽度で済んだものが、現在発症したら軽度で済まなくなってきたと著者は訴えています。

栄養学は現在、最新の科学者からしたらもう終わった学問であり、精神障害はもっと高度で専門的な原因があるのだと捉えられていて考慮されていないそうです。

そこに警鐘を鳴らしています。

 

これは大きな落とし穴だと思います。

別に栄養をきちんと取るようにすればいいのだから、実行してみて損はないはず。

そういった視点が見落とされているのは怖いですね。

 必須脂肪酸を取るように努力したいと思います。

 

【新書】『日中食品汚染』―何を食べたらいいの?

『日中食品汚染』高橋五郎 / 文藝春秋

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食料の6割を輸入に頼る日本。

そのうち14%が中国産らしいです。

(個人的にはもっと輸入してそうなイメージでした。)

 

ニュースで流れる情報から、中国産の食品には何が混入しているか分からないから怖いと思い、同じ値段なら中国産じゃないものを買うクセが付いています。

なぜ中国産にはこんなに人体に害のあるものが混ざってしまっているのか。

 

それは中国の農民の悪意によるものではなく、無知ややる気の無さ、諦念(自分の人生なんてこんなもの)、嫌々やっている仕事、その土地は国のものであって自分のものではないという事実による責任感の欠如、倫理観や使命感や社会貢献という意識の無さ。

・・・が原因だと著者は述べています。

共産主義の弊害がこんなところにも。

確かに自分が今、耕している土地や作物が国のものであり自分のものでないのなら愛着が湧きにくいことに納得がいきます。国に言われてやらされているのなら、自発的な責任感や倫理観は醸成されにくいことも理解できます。

「どうせ自分たちが食べるわけじゃないんだから適当でいいか」と思ってしまうのも仕方ないことなのかもしれません。

 

輸入検査項目も、金や手間がかかりすぎるという理由で、統計学的には不十分なサンプル数しか実施していないのが現実なんだそうです。まじかよ。

消費者側の対策としては、インスタントや加工食品は買わず、家で食事を作ることだそうです。

 

今や食品表示を見ても、残留農薬や重金属、添加物の危険性は素人では追跡できません。よって危なそうなのは買わないにこしたことはないということ。

商品の売上げに貢献しなければ、その店でその商品はいずれ販売しなくなります。

(置いていても売れなきゃ利益にならないから、今度から仕入れなくなる。)

高い食品は、安全性も含めて買っているんだと考えることが大事ですね。

 

【マンガ】『魔神冒険譚ランプ・ランプ』(全3巻)―美麗絵師・小畑健初期の名作

『魔神冒険譚 ランプ・ランプ』小畑健・泉藤進/ 集英社

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小畑健氏は『ヒカルの碁』、『DEATH NOTE』、『バクマン』などの大ヒットを飛ばしておられる有名マンガ家ですが、その最大の特徴は絵が超絶に上手くて綺麗で美しいことです。

その画力の高さは初期の頃から突出していました。

そもそもデビュー時に編集者から10年に1人の逸材と言わしめたほど。

 

デビュー作は『サイボーグじいちゃんG』ですが、ギャグマンガで一人で描いておられました。次作の『魔神冒険譚』から現在のスタイル(原作と作画担当を分けて、作画担当に専念する)になりました。

 

1話からすでに最高レベルに絵が上手いのですが、3巻まで進むとさらに上手くなっていることが比較してみると分かります。著者は当時20代前半。まだまだ伸びしろがあったということですね。もうこの段階で上手すぎて怖い。

 

ストーリーとしてはシンプルな勧善懲悪モノです。

人間界が魔神に支配された世界で、主人公・ランプが悪の魔神を倒すというもの。

 

ラスボスのドグラマグラは、『るろうに剣心』の不二のモデル(仮面を取ったあとver)として有名ですね。ほんとにそっくりで、和月伸宏氏は志々雄編を描いていたときは忙しくて切羽詰まっていたことが窺えます。まあご本人も創作秘話で小畑氏に謝っていましたが。

 

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【小説・SF】『文字渦』―もじの豊かさであそぶ

『文字渦』円城塔 / 新潮社

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円城塔作品はどれを選んでも難解なものが多いです。

この小説も僕には難しかったことは否めませんが、他の円城塔作品と比べたらやや読者に優しさを持って提供された部類だと感じました。

いつもはたいていその奇抜な表現と飛躍しすぎた思考速度に追い付けずに振り回されてしまうのですが、今回はなんとか食らいつけてゴールできた感じです。

 

大きな物語の筋はあるようで無いです。

12章の短編が少しずつつながっている連作短編の形をとっています。

文字(主に漢字)をひたすら様々な角度から遊び倒しています。

マンガ『キングダム』を読んでいる方だと嬴政(秦の始皇帝)が出てくるのでちょっとテンションが上がります。

 

登場人物たちはいたって真面目・シリアスに物事に取り組み、話し、考えているのにやっていることはかなりふざけています。

マンガ『バクマン』で「シリアスな笑い」が生み出せたら最強だ、という会話がありましたがこの作品もその方向性の小説です。(『バクマン』ではその戦略に従って「PCP」が生み出されましたね。)

特に192~193pと201~202pの見開きには誰もが驚くでしょう。

これは文庫になったときに成立するのか微妙なので、ハードカバー版しか作られないかもしれませんね。(文庫版は2018年10月時点でまだ存在しません。) 

 

芥川龍之介が「物語性はその小説が優れたものか否かを判定する指標ではない」ことを『侏儒の言葉』の中で提言していましたが、この『文字渦』もまさにそれに当てはまるなと感じました。

劇的な物語性(起承転結があって、大きな起伏があって緩急があるもの)が明確にあるわけではないけれど、作品世界の豊饒さや作者の熱量は伝わって来るんです。

文字で記述されているだけの内容ではなく、その背景にある著者の意図というかテーマの深淵まで、本を開くと覗くことができているかのような感覚。

錯覚かもしれないけれど、そういう錯覚を見せることができるのはその小説の力なんだと思います。

 

ちなみに円城塔作品を未読の方は『屍者の帝国』がオススメです。

おそらく一番分かりやすい。

(まあ序盤は伊藤計劃氏によるもので、彼が亡くなったので円城塔氏が書き継いだものなのですが。)

 

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