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【マンガ】『Rosen Blood』(1巻)—美麗な絵がさらなる進化

『Rosen Blood』石据カチル / 秋田書店

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『空挺懐古都市』の頃から絵が抜群に綺麗で安定していると思ってました。

もはやこれが完成形だなと。これ以上はないだろうと。改善点が見当たらないと。

 

僕の目は節穴でした。

このマンガでさらに画力がアップしているのを見て驚きました。

比較すれば分かりますが、線の強弱・緩急がさらに洗練されています。

 

学校のテストでもそうですが、

60点を90点に上げるよりも、90点を95点に上げる方が難しいものです。

完璧に近づくほど、点数の上昇に見合わない努力が要求されます。

労力と成果は比例しません。

著者の画力は後者にあたります。当然のことながら。

 

これを踏まえると、恐ろしいほどの研鑽の果てにたどり着いた高みだということです。

素晴らしい。美しいマンガは絵を見ているだけで感動します。

 

ストーリーは『ヴァンパアイア騎士』(樋野まつり)みたいな感じです。

主人公である少女の周りに、美青年たちが群れ集う逆ハーレム。

f:id:A-key-Hit:20181119200217j:plain←2018年5月発売。

 

「ヴァンパイアもの」というジャンルは少しは存在するものの、日本では爆発的ヒットした作品(映画、ドラマ、小説含む)がないのは何故なんですかね?

「ヴァンパイア」は噛まれたり血を吸ったりという行為から、根本的には感染症の恐怖に由来している存在なのだとどこかで聞いたことがあります。

日本では火葬が主に行われますが、欧米圏では土葬が多いと聞きますし、

そういうところから、死者→感染症を起こしうる恐ろしい存在という連想がされて、

そこに耽美的な要素が付加されて一つのジャンルとして確立したのでしょうか。

おそらくそういった研究本は誰かが書いていそうなので、いずれ読んでみようと思います。

 

 アメリカだと「ヴァンパイア」の他に、「ゾンビ」「UFO / エイリアン」というジャンルもいつの時代も根強い人気を誇っています。

日本では文化的土壌が無いんでしょうか?国民性でしょうか?

火葬にしたらゾンビになりようがないから。

 

あ、『アイアムアヒーロー』(花沢健吾)はゾンビものか。

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【マンガ】『鬼の又鬼のアモ』(1巻)―わたしは神を許さない

『鬼の又鬼のアモ』多田乃伸明 / 講談社

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↑2018年9月発売

 

敵は強大すぎるくらいで丁度いい。

相手は神。どう考えても最強の相手でしょう。

エンターテイメントとしてはそれくらいの無茶ブリがあっていいと思います。

神を倒すという挑戦は、山田正紀のデビュー作であるSF小説『神狩り』を思い出しますが、このマンガとは設定が全く違います。

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↑新装版が2010年に出ています。早川書房。

 

女性が山に入ると神の嫉妬を買って獲物が獲れなくなると信じられていた時代。

主人公・アモ(少女)は幼馴染のマンザ(少年)と共に密かに山へ入って獣を狩っていました。子どもながらに、二人の銃の腕はかなりのもの。

ある日、マンザが神の使いの巨大なオオサンショウウオに喰われてしまいます。

山の神は傲慢で好色な女で、気に入った人間の男を見つけては戯れに誘拐し拘束し、命を弄ぶことを繰り返してきました。

一時は殺されたかに見えたマンザが実はまだ生きているかもしれない可能性が生まれ、アモは彼を救うために神と対決することになります。

 

書店で表紙に惹かれてジャケ買いしたのですが、どこかで見たことがある絵柄だなと思ったらマンガ『70億の針』の著者と同じだったことを後で知りました。

f:id:A-key-Hit:20181124210630j:plain←2008年出版。メディアファクトリー。

 

『鬼の又鬼のアモ』も『70億の針』も背景がしっかり描かれていて、画面に手抜きは一切見られません。描きたいものが明確にあり、1コマ1コマ丁寧に作り込むという誠実さが伝わってきます。週刊連載では出来ない絵のクオリティーです。

 

剣の腕に覚えのある素浪人の男も脇役として登場します。

彼も息子を神に誘拐されて、奪還のための旅を続けていたのでした。

彼は言います。

「神は嫌いじゃ。神は我々の味方ではない。」

 

神というのはそもそも人間の味方なのでしょうか?

人間を守るべきなのでしょうか?

人間の都合などお構いなしに、気まぐれに親切になったり横暴になったりするのが神という迷惑な存在なのではないでしょうか?

そういう意味では自然災害そのものです。

人間には理解できない所業こそ神たる所以でしょう。

 

奪われた肉親を返してくれと願ったところで、(このマンガの)神は聞く耳を持たないでしょう。

我々人間の必死さ・真剣さを神はいつだって嘲笑う。

しかし、一人の人間として神の戯れに振り回されて生きていたくはないものです。

神にすがるな。

神に祈るな。

 

BUMP OF CHICKENの藤原基央さんの名言を思い出せ。

「神に誓うな、己に誓え」

 

大切な人は神に救ってもらうんじゃない。

自分が救うんだ。

 

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【ノンフィクション】『マヤ文字解読』—シャンポリオンがいなくても

『マヤ文字解読』マイケル・D・コウ / 訳:武井摩利・徳江佐和子 / 創元社

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⇧古本価格で2300円でした。

 

 

まず表紙デザインが良いです。

マヤ文字が刻まれていて凹凸まで分かる仕様になっています。(カッコイイ)

手ざわりで楽しめるのも、紙の本の醍醐味ですね。

(デジタルに手ざわりの楽しさはない)

450ページ弱ですが、ブ厚いのは良い紙を使っているからです。

写真や図も多く挟まれていて分かりやすく配慮されています。

 

 「マヤ文字 画像」の画像検索結果"

 

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<内容>

19世紀初頭にシャンポリオンによって、古代エジプト象形文字であるヒエログリフが解読されたのは有名ですが、南米のマヤ文字が解読されたのはなんと20世紀後半になってからでした。

けっこう最近のことなんですね。

この本では、マヤ文字の解読に至った経緯が詳細に語られています。

解読に携わった当事者の一人が執筆しているのでリアリティがあります。

 

世界の言語における表意文字、表音文字、表語文字と比較しながら、多くの誤解と回り道を経て、少しずつ解読のヒントが発見されていく道のりは本当に険しく、とても独りではゴールに辿り着けません。

学問の研究者たちは世界中にいますが、一つの大きな謎に個々が立ち向かっていて、その小さな発見がお互いにあるいは後進に役立って全体が前進していく様は、同じ人類として誇らしいですね。

言語を作り出し、学問を体系的にまとめていけるのは、人間の強さだと思います。

 

マヤ文字が、日本の漢字ーひらがなシステムと構造が似ているという点も親近感が湧きます。我々が普段使っている日本語の表記法は世界ではかなり特殊なんですね。

 

なぜマヤ文字の解読がそこまで遅かったのでしょうか。

・シャンポリオンのような超天才が現れなかったから。

・マヤ研究者には言語学や碑文学の下地がなかったから。

・なかなか十分な資料がそろわなかったから。

 

しかし最大の理由は、優秀な研究者が現れて新説を発表しても、すでにマヤ研究で有名になって業界に大きな影響力のあったエリック・トンプソンという人物によって潰されてきたからのようです。

従来の定説を否定したり、説得力のある根拠と新説を発表しても、それが彼の望んでいる方向性から外れていれば容赦なく否定されて、彼の信奉者からも嫌がらせを受け、業界から仲間外れの雑魚として扱われる始末。

昔の詩人の言葉やギリシア神話の引用を無限に投入して、相手の批判能力を封じ込める彼のやり方(信奉者たちの目にはそれが素晴らしい教養が発揮されていると映る)を前にして、新人研究者たちは心が折れて、戦わずして退散していく道を選ぶのです。

最悪ですね。

 

自分の古臭い価値観でしか新しいものを判断(評価)できず、

才能ある若者や、ある業界・分野の未来と発展を妨害し、保身のために新人はあらゆる手段を使って潰そうとしてくる大物人物のことを「老害」と表現したりしますが、

エリックはまさに死ぬ寸前までそれを体現してみせた人物だったようです。

迷惑!

 

そんな人間にはなりたくないものです。

しかし「老害」は自覚できません。

自分に理解できないことがあっても、短絡的に否定しないように気をつけるしかありません。

新しいことに出会っても安易に批判しないことですね。

 

 「マヤ文字 画像」の画像検索結果"

 

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<余談>

ちなみに僕が「シャンポリオン」を初めて知ったのは『スプリガン』(皆川亮二・たかしげ宙)第1巻でした。主人公・御神苗優の幼馴染の山菱理恵が、シャンポリオンの再来といわれる言語学の天才なんですね。

そのせいで、この『マヤ文字解読』を読むまでは、シャンポリオンは女性だと思っていました。

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⇧完全版(保存版)が出ています。(小学館)

 

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【マンガ】『やがて君になる』(1-3巻)―誰のことも特別に思わない?

『やがて君になる』仲谷鳰 / KADOKAWA

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↑2018年9月に6巻まで発売

 

1~3巻を遅ればせながら買ったわけですが、コミックの帯に

「百合ブームの火付け役となった」

と書かれていました。

ブームなんですか?!寡聞にして知りませんでした。

 

BL(男×男)というジャンルの裾野は非常に広いですが、

百合(女×女)ものというジャンルはそれより世間の認知度が低い気がします。

前者は女性読者を想定して描かれていますが、

後者は男性読者を想定しているわけではない気がします。

偏見と言われれば反論はできませんけど。

 

そして僕はどちらのジャンルにもあまり詳しくありません。

百合ものがBLよりも、世の中に出版されている数が圧倒的に少ないと思うのは、単に僕が不勉強なため有名作品を知らないだけなのかもしれません。

 まあ、男子のキャラクターが登場しなければ自然と女子同士の交流しか描かないことになるわけで、『けいおん!』なんかも広義の百合には入るのかも。

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↑大ヒットアニメの原作。全4巻。

 

百合マンガに限らず、恋愛マンガの王道パターンとしては、

普通のステータス(容姿、成績、家柄など)の主人公が、容姿端麗・文武両道・人望も厚い相手に恋して追いかけるという構造をとっています。

このマンガではそれが逆転している点が珍しい設定です。

 

つまり美人で成績優秀で誰からも慕われている生徒会長の先輩(燈子)が主人公・侑を好きになって追いかけるという構図です。

恋愛マンガなのに主人公が恋をしていないという点が斬新です。

そんなマンガは百合かどうかに関わらず、今まで存在したことがあるか?と自分の過去を回想してみましたがすぐに思い浮かびません。

 

 いずれ侑も燈子を好きになるのでしょうが、そのときに両想いになってハッピーエンドとはいかないような展開を匂わせています。

燈子が侑を好きなのは、侑が誰のことも特別好きではないからです。

燈子からしたら「私を特別な目で見ないあなたが好き」なわけで、

侑が燈子を特別な存在として見る=好きになると、逆に自分の気持ちは冷めてしまうことを示唆しています。

追いかけている間は夢中になれるけど、追いかけられる立場になると困ってしまう。

詳しい理由は、燈子と亡くなった姉の過去エピソードで描かれるのでしょうが、3巻まで読んだところではまだ語られていません。

 

「私を嫌いにならないで」というメッセージは同時に「私を好きにならないで」という意味でもあり、侑もそれに気がついています。

けれど少しずつ燈子が気になり始めていることも薄々自覚していて、その感情からは目を逸らしています。

徐々に好きになり始めているのに、聞こえてくるのは崩壊への序曲。

今のこの心地よい関係性が壊れてしまいそうなのは、侑も読者も分かっています。

だから次巻を読むのが段々怖くなってきています。

 

少し歪んだ恋愛・関係性のように見えてしまいますが、

そもそも「歪んでいない正常な恋愛」なんてこの世に存在するでしょうか?

異常性に目を向けてしまうのは、当事者じゃないからです。

彼女たちにとって本当に大事なことは本質的な部分。

「特別ってどういう気持ちなのか知りたい」ってこと。

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普段、ミステリーやSFばかり読んでいて左脳ばかり使っているので、

たまにこういう感性のマンガを読んで右脳を使いすぎると、右脳が筋肉痛になりそうです。脳に筋肉が果たしてあるのかは知りません。(右脳も左脳もまんべんなく使うべきなのでしょうけど、楽をしようという癖がついてしまってますね。)

 

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【マンガ】『高校アフロ田中』―つらいときはこれを読んで元気になろう

『高校アフロ田中』のりつけ雅春 / 小学館

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<アフロ田中シリーズ>

「高校アフロ」は「アフロ田中」シリーズスタートとなる作品です。

この後は「中退アフロ」➡「上京アフロ」➡「さすらいアフロ」➡「しあわせアフロ」➡「結婚アフロ」と続く人気ギャグマンガです。

すべて丁度10巻で終わっているところがすごいですね。

どこから読んでもいいし、どこでやめてもいいです。

大体、1話完結です。

 

2019年の7月から賀来賢人さん主演でドラマ化されるそうです。 

以前に松田翔太さん主演で映画化もされていましたね。

 

最新刊は「結婚アフロ田中」の3巻です。
2019年4月に発売されました。

別に1巻から買う必要もありません。

何も知らない状態でいきなりこの3巻から読んでも全く問題ありません。

この巻にはSNSで「神回」と呼ばれた世界平和につながる大発見のエピソードも収録されています。

めちゃくちゃくだらなくて面白いです。

 

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<あらすじ>

主人公・田中はボクシング部。

しかし熱心に練習するわけでもなく、同じ部活の友人4人といつも一緒に行動し、遊んだりしています。よくある高校生活です。

田中は釣りが趣味で、釣りをバカにされると怒ります。

野球をとくに練習したわけでもないのに、イチローのフォームを真似するとバッティングが超絶に上手くなるという特技をもっています。

そしてアフロですが、それについて何らかのネタが用意されているわけでもない。

主人公のシルエットが奇抜になっているだけ。なんかもったいない・・

 

ストーリーとかテーマもとくにあるわけでもなく、

本当にくだらないことを毎回やっているだけで終わります。

回転寿司に連れて行ってもらったが、毎回取ったネタでダジャレを言って笑わせないと食べてはいけないゲームをしたり、

鼻毛カッターを買って使ってみたが毛が引っかかり、怖くて鼻から抜けなくなり、無理やり引っ張ろうとする友人先輩から必死に逃げ回ったり、

満員電車で隣の女の子のメールの(彼氏との)やりとりをひたすら覗いて、絵文字の謎を推理してみたり。

 

『すごいよ!マサルさん』のようにシュールさはないですし、

『ボーボボ』のように現実離れしたものでもありませんし、

『となりの関くん』のように不思議くんなわけでもないですし、

『男子高校生の日常』のようにバカさの中に若干スタイリッシュさがあったりはしませんし、中2病をこじらせているわけでもありません。

現実世界に立脚したギャグマンガです。(まあ青年誌(スピリッツ)ですからね)

 

<まとめ>

今だったら、YouTuberが動画でやっていることをマンガで読んでいる感覚といえばいいのでしょうか。

くだらない、しょーもないといえばそれまでですが、

つらい現実を忘れて楽しむひとときは、いつの時代も必要だと思います。

 

田中のような毎日を送っていたら何も生みだせない、と意識高い系の人は言うかもしれません。そういう人はユーモアが足りません。

現代人は、「効率」や「生産性」という言葉に縛られすぎている気がします。

そんなもの無くたって、楽しく生きることは可能なんです。

 

 きっとそろえたくなる「アフロ田中」シリーズ⇩⇩

    

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【マンガ】『アフロ田中』/つらい時はこれを読んで元気になろう!【本のおすすめ紹介】

【マンガ】『食戟のソーマ』(1巻)—絶品料理マンガ おあがりよ!

『食戟のソーマ』附田 祐斗・佐伯俊 / 集英社

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↑2018年11月現在 31巻まで発売しています。

 

料理マンガというのは、料理の絵が上手くないと成立しない難しいジャンルです。

絵を描くことが上手い人も、その題材は主に人物や動植物や風景だったりします。

料理の絵を多く描くという経験は、この世で料理マンガを描いている作家さんしかやっていないのではないかと思います。(つまり誰もが未経験に近い。)

だから描こうとするにはハードルが高いのです。

しかも既存の有名料理マンガは数多くあり、それらと差別化を図るのも至難。

 

このマンガは料理の絵が上手いのはもちろんのこと、キャラクターの絵も背景もすべてが上手くて綺麗です。さらに女の子が可愛いのが特徴です。

料理以外の一番の見所は、完成した品を食べたあとの女の子のリアクションです。

これが画期的な発明なんです。

これまでの料理マンガでは、完成品を食べて審査するのは大抵その道の大家であるジジイかオッサンでした。解説も食レポとしては上手いのかもしれませんが、所詮は理屈を並べてどちらが勝ったのかを決めるための根拠を作る手順でしかありません。

 

可愛い女の子のリアクションを見れば、理屈など捏ねなくても、読者は感覚的にそういったことが即座に理解できるのです。

しかもセクシーサービスシーンを楽しみながら。

恐るべき発明です。

このマンガの後に他の料理マンガを読んだら物足りなく感じるでしょう。

ジジイやオッサンが偉そうに講釈たれているのを見るよりも、

可愛い女の子が美味しそうに食べているシーンの方が面白いに決まっています。

なぜこんな当たり前のことに誰も気づかなかったのでしょうか。

画期的な発見は、「言われてみればその通りだ!」と誰もが思うものです。

 

あとは、ありふれた庶民的料理をアイデアでいかにおいしく出来るかに挑戦している点もこのマンガの特徴です。

読者が「あ、これは自分でも真似できるかも」と思える食材と調理法。

実際に作れるので、現実とリンクさせることができて楽しみが増えます。

 

『ONE PIECE』のサンジが作る料理は美味しそうですが、我々の世界に恐竜やエレファントホンマグロは存在しませんので代替品で我慢せざるを得ません。

『中華一番』(小川悦司 / 講談社)も美味しそうな料理しか出て来ませんが、食材や使用調理器具を調達するところから困難です。

まあ、そこがマンガの面白さではあるのですが・・・

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↑『中華一番!』の次に『新・中華一番!』。現在は『中華一番!極』連載中です。

 

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【小説・SF】『ニルヤの島』—死後の世界という概念がなくなった

『ニルヤの島』柴田勝家 / 早川書房

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↑2014年出版。第2回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞。

 

日本人は宗教信仰習慣が薄いので、外国人と比較すれば「神」や「天国」、「地獄」、「死後の世界」などを本気で信じている人は少ないはずです。

でも物語などでそういう概念や信仰の対象があるということは知っています。

マンガや映画などを観た経験などから、そのイメージ画像を想像することも一応は可能です。「なんとなくこんなもの」というイメージは個々人が持っているはず。

 

この小説では日本や世界から「死後の世界」という発想が消えます。

イメージできないし、する必要がなくなるのです。

 

----(ストーリーと設定)----------------------------------------------------------------------------

「生体受像」というシステムを体内に埋め込み、人生のあらゆる瞬間をデータ化する。

必要ならばそれを読み出せば、記憶は鮮明に再生されるし、永遠に劣化しない。

死んだ妻、父、母、祖父母、息子、娘のあらゆる思い出が保存されたまま。

自分が死んでもデータが保存されているので、生者からしたら死者は死後の世界で暮らしているのではなく、データとして存在していることになる。

 

 人類の大半はこのシステムを受け入れ、宗教や死後の世界が否定された。

だがミクロネシアの島々では、死者は死んだ後は「ニルヤの島」に行くという信仰(モデカイト)を持ち、葬式(死者への送別儀式)が行われていた。

 文化人類学者・ノヴァクはその地を訪れ、様々な死生観に触れることになる。

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死後の世界はあるのか無いのかという議論が物語ではなされます。

魂はあるのか無いのかと聞かれたらどうでしょうか?

 

「死ぬ直前と死んだ後で死者の体重を計ったらわずかに軽くなっていた。

それは魂が抜けたから。魂にも質量がある。」

という科学?実験のエピソードは有名ですが、

物質的に魂が存在するのかどうかは疑問です。

でもあってほしいですよね?

「あるでしょ!そりゃ!」と言う方はどうやって証明しますか?

 

ノヴァク教授や現地案内人は死後の世界を最初は否定していましたが、

島の有力者へと祭り上げられて人々の営みを見ているうちに、

死後の世界を信じたくなってきます。

「いや、無いんだってことは分かっているけどあってほしい」というアンビバレントな感情が後者に傾いた時・・・その姿を目にします。

死ぬ直前に走馬燈のように幻視する―それが死後の世界。

 

信じようとする者の目の前だけに現出するもの。

宗教や神というのはそういうものなのかもしれません。

 

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【マンガ】『あひるの空』(50巻)—すべてはこの日のために

『あひるの空』日向武史 / 講談社

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⇧2018年11月16日発売。

 

いよいよ最終巻が近づいてきました。

次が最後の試合だと39巻で示唆されていたからです。

 50巻では、その運命の試合の決戦前夜まで収録されています。

 

<高校生活>

高校の3年間は特別な期間です。

部活をやろうにも、MAXで3年間しかできないのです。

社会人になってからは、3年というものがどれだけ短いのかが分かります。

 歳を重ねるほどに、1年は短く感じるようになっていきますから。

 

さらに高校2年は部活では先輩と後輩ができて、高校3年は後輩しかいなくなります。

それぞれの1年がそれぞれに特別なのです。

 

「自分が高2だったときにいた頼れる先輩は1年経てばいなくなって、自分が頼られる立場にならないといけなくなる」というのは、社会人になってからはありえないスピード感です。さみしく感じるヒマもないほどに。

 

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<あらすじ>

主人公・空は高校2年。

信頼している先輩とともに1年間いろんなものを乗り越えてきました。

母の死。部室焼失。部としての復活を学校に認めてもらうまでの活動。

体育館が使わせてもらえずに練習が満足にできない状況に耐える日々。

専門的な指導者がいない中で試行錯誤して技術を磨く毎日。

ようやく部としてインターハイを目指すと公言することを許されます。

素人だったチームメイトたちも上達して自信をつけました。

試合にも勝てるようになってきました。頼れる後輩も増えました。

そしてようやく今、宿命の相手と悲願の公式戦を迎えることになったのです。

 

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<きらめく1年間>

大抵のスポーツマンガのゴール(最終到達目標)は、主人公がインターハイ優勝したり、プロになったり、NBAに行くことになることとして設定されています。

分かりやすい目標です。

読者はありえないことだと分かっていても、フィクションのラストシーンは華々しいものであってほしいとも願っているものなので特に不満があがるわけではありません。

 

しかし、著者はそういう描き方をしていません。

そういうのを描きたいのではないとどこかに書いておられました。

きらめくような一瞬(1年)を描きたかったのだと、この巻でようやく分かりました。

 思い返してみれば、スラムダンクだってたった数ヶ月の出来事を描いているに過ぎません。

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49巻で負かした相手チームの監督に言われるセリフ。

「(今回は負けたけど、お前らは)どうせ1年だけのチームだしな

 

そう、主人公たちは皆、この1年がこの最高のチームで最高のパフォーマンスができる唯一の期間だと無自覚にしろどこかで気付いているのです。

卒業を迎えて誰かが欠けたら、もう終わりなんだと。

 

だから選手たちは監督に覚悟を伝えています。

「俺たちに次があるなんて思わないでくれ」と。

選手生命なんて気を使わないでくれと。

監督は指導者として選手の健康(故障)を守ろうとは思っていますが、

選手の覚悟に準じてしまっている部分もあります。

「脚が痛かろうと、今は退場せずになんとしても勝ちたい」と選手が思っていることに気が付いているし、自分もなんとか勝たせてやりたいと思っているから。

 

主人公たちは皆、心に秘めたライバルが存在します。

とにかく最終的にアイツに勝ちたい、と思っています。

その相手が横浜大栄というチームに全員いるので、最大の目標はそのチームに勝つことだという暗黙の共通認識があります。それまでは絶対に負けられないと。

その目標のために毎日研鑽を積んでいるわけですが、かなり無茶を重ねてここまできたので、膝だったり足首だったりの故障を抱えてしまうことになりました。

 

「若いころに後先のことを考えずに、全身全霊で何かに打ちこむことができた」という経験は何事にも代え難い財産だと思います。

採算度外視で渾身の情熱を注ぎこみ、無謀な挑戦ができるのは若い時期だけともいえます。大人になるとできなくなります。

だからこそ、そんな彼らの危うさや気迫がまぶしいほどに美しく儚い。

 

社会に出れば、青臭い理想論だと言われるかもしれません。

しかしこのマンガは全力で叫んでいます。

本当に大事なのは「結果」よりも「過程」なんだ。

「未来」よりも「今」なんだと。

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【小説・文学】『血を売る男』—誇張された中国人の家族ストーリーだと思いたい

『血を売る男』余華 / 訳:飯塚容 / 河出書房新社

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↑表紙怖すぎません?ホラーじゃないですよ。

 

献血という制度は昔からあったわけではありません。

その意義や価値が世間に認められ、「必要なら自分の血を無料で提供してもいいよ」と多くの人が考えるようになったのはいつからなのでしょうか?

あるいはそういった慣習がまだない時代に、人々はどうやっていたのでしょう?

 

瀉血というスっとぼけたエセ医療行為は論外として、

出血が激しければ輸血が必要だという知識は献血制度成立以前からありました。

「体内から抜け出た分は補充しなきゃ」と思うのは自然な発想ですよね。

 

『ブッダ』(手塚治虫)では、死にそうな仲間にブッダ自身が植物の茎的な管を使って輸血を施していました。さらに輸血実施前に血液型検査の超簡易版までやります。血液には種類があって、誰から輸血してもいいわけではないことが分かっていたんですね。

まあこれはフィクションですし、医師免許をもつ著者が読者である子供たちに安易に真似しないようにするための注意喚起・配慮的な描写なのだと思いますが・・・

f:id:A-key-Hit:20181116212352j:plain←潮出版社や講談社から出ています。

 

『輸血医ドニの人体実験』(著:ホリー・タッカー / 河出書房新社)によると、

17世紀にフランスの外科医・ドニによって初めて輸血の人体実験が行われました。

当時は「血液型」という概念もなく、本当に試行錯誤の連続だったようです。

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↑2013年出版。

 

当時の人々にとっては「輸血」とはおぞましいものであって犯罪でした。

だからこそドニはこっそり人体実験をするわけですが・・・。

まあ、自分の血を他人に与えたり、誰かの血を自分の体内に入れるということは気持ち悪くて考えられなかったということです。(宗教的タブーもある。)

衛生管理もいい加減だから当然の感覚だと思います。

 

結局、輸血技術が確立されたのはけっこう最近のことなのです。 

技術があっても需要に対する供給のバランスが取れていないと一般化されません。

献血が一般的になるまでは、人は自分の血を売っていたのです。(供給)

 

戦後間もない頃までは日本も中国でも自分の血を売っていたそうです。

病院はそれで必要な血を確保していたのです。

この小説は1950年代の中国の貧しい村が舞台で、そこに暮らす人々には「売血」という文化が当たり前としてありました。日々の仕事だけではお金が稼げないため。

血を売った方が圧倒的に短期でお金を稼ぐことができたため、

貧しい村では窮余の策として存在していました。

その手段がなければ飢えて死んでしまうので、ピンチなら誰だってやるでしょう。

 

 主人公・許三観は村のある二人組の男たちに連れられて、売血に行きます。

そこで自分の血を売れば相当稼げることを知ります。

ただ、血を抜かれた後はけっこうフラフラになるので、すぐに造血作用のあるレバーを食べるようにアドバイスされます。温めた紹興酒とともに。

 

彼は人生でピンチが訪れるたびに、血を売って資金を獲得してきました。

結婚で結納資金が必要なとき。

国が飢饉になって食糧を買う金がなくなったとき。(インフレ)

息子がよその子と喧嘩して頭をかち割って大ケガさせて入院費払えと迫られたとき。

そして息子が重篤な肺炎にかかって大きな病院で治療しないと助からないと宣告されたとき。

 

売血担当医には最大3ヶ月に1回でそれ以上は死ぬからやめろと警告を受けます。

この小説で採血されるのは1回400ml。

実際、日本の献血制度でも1回の採血量はそれくらいなら年3回までらしいです。

 

しかし、息子の治療費は1回の売血ではとても足りません。

彼は数日おきにこのペースで売血して資金を得ようとします。

3回目の採血後に、貧血で気絶してしまいます。

しかしそれでもまだやろうとします。

アカギと鷲巣の対決を思い出しますね。

f:id:A-key-Hit:20181116221711j:plain←2018年6月についに完結。

 

文化大革命やら飢饉やらを乗り越えて生きる家族を描いているわけですが、

シリアスな深刻さはなく、コントか?と思う程コミカルに話は進みます。

だから読み進めやすく、後味もよかったです。

「クソ真面目にブンガクなんか読みたくねえ」という方にもおすすめです。

 

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【ニュース】明日(11/18)の情熱大陸は『進撃の巨人』の諫山創さんです!

明日の情熱大陸は『進撃の巨人』の諫山創さん登場

予告ではどうやら最終話のネームに取り掛かる姿に密着したとのこと。

つまりもう間もなく『進撃の巨人』の連載が終了するということです。

マジか~・・・orz

 

かなりショックでしたが、話の展開的にはそろそろしめないといけない感じでしたから仕方ないのでしょう。もう10年も連載していたんですね。

お疲れ様でした。

 

来月(12月)に新刊27巻が発売されますがそこで終了ではなく、おそらく28巻が数ヶ月後に発売されて、それが最終巻になると思われます。

連載終了は残念ですが、ダラダラと続くよりかははるかにマシです。

 

明日はネタバレはしないように配慮されていることを祈りつつ、

情熱大陸の放送を待ちたいと思います。

 

紙の本も読みなよ / A-key-Hit