【マンガ】『あひるの空』(50巻)—すべてはこの日のために
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紙の本も読みなよ / A-key-Hit
『あひるの空』日向武史 / 講談社
⇧2018年11月16日発売。
いよいよ最終巻が近づいてきました。
次が最後の試合だと39巻で示唆されていたからです。
50巻では、その運命の試合の決戦前夜まで収録されています。
<高校生活>
高校の3年間は特別な期間です。
部活をやろうにも、MAXで3年間しかできないのです。
社会人になってからは、3年というものがどれだけ短いのかが分かります。
歳を重ねるほどに、1年は短く感じるようになっていきますから。
さらに高校2年は部活では先輩と後輩ができて、高校3年は後輩しかいなくなります。
それぞれの1年がそれぞれに特別なのです。
「自分が高2だったときにいた頼れる先輩は1年経てばいなくなって、自分が頼られる立場にならないといけなくなる」というのは、社会人になってからはありえないスピード感です。さみしく感じるヒマもないほどに。
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<あらすじ>
主人公・空は高校2年。
信頼している先輩とともに1年間いろんなものを乗り越えてきました。
母の死。部室焼失。部としての復活を学校に認めてもらうまでの活動。
体育館が使わせてもらえずに練習が満足にできない状況に耐える日々。
専門的な指導者がいない中で試行錯誤して技術を磨く毎日。
ようやく部としてインターハイを目指すと公言することを許されます。
素人だったチームメイトたちも上達して自信をつけました。
試合にも勝てるようになってきました。頼れる後輩も増えました。
そしてようやく今、宿命の相手と悲願の公式戦を迎えることになったのです。
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<きらめく1年間>
大抵のスポーツマンガのゴール(最終到達目標)は、主人公がインターハイ優勝したり、プロになったり、NBAに行くことになることとして設定されています。
分かりやすい目標です。
読者はありえないことだと分かっていても、フィクションのラストシーンは華々しいものであってほしいとも願っているものなので特に不満があがるわけではありません。
しかし、著者はそういう描き方をしていません。
そういうのを描きたいのではないとどこかに書いておられました。
きらめくような一瞬(1年)を描きたかったのだと、この巻でようやく分かりました。
思い返してみれば、スラムダンクだってたった数ヶ月の出来事を描いているに過ぎません。
49巻で負かした相手チームの監督に言われるセリフ。
「(今回は負けたけど、お前らは)どうせ1年だけのチームだしな」
そう、主人公たちは皆、この1年がこの最高のチームで最高のパフォーマンスができる唯一の期間だと無自覚にしろどこかで気付いているのです。
卒業を迎えて誰かが欠けたら、もう終わりなんだと。
だから選手たちは監督に覚悟を伝えています。
「俺たちに次があるなんて思わないでくれ」と。
選手生命なんて気を使わないでくれと。
監督は指導者として選手の健康(故障)を守ろうとは思っていますが、
選手の覚悟に準じてしまっている部分もあります。
「脚が痛かろうと、今は退場せずになんとしても勝ちたい」と選手が思っていることに気が付いているし、自分もなんとか勝たせてやりたいと思っているから。
主人公たちは皆、心に秘めたライバルが存在します。
とにかく最終的にアイツに勝ちたい、と思っています。
その相手が横浜大栄というチームに全員いるので、最大の目標はそのチームに勝つことだという暗黙の共通認識があります。それまでは絶対に負けられないと。
その目標のために毎日研鑽を積んでいるわけですが、かなり無茶を重ねてここまできたので、膝だったり足首だったりの故障を抱えてしまうことになりました。
「若いころに後先のことを考えずに、全身全霊で何かに打ちこむことができた」という経験は何事にも代え難い財産だと思います。
採算度外視で渾身の情熱を注ぎこみ、無謀な挑戦ができるのは若い時期だけともいえます。大人になるとできなくなります。
だからこそ、そんな彼らの危うさや気迫がまぶしいほどに美しく儚い。
社会に出れば、青臭い理想論だと言われるかもしれません。
しかしこのマンガは全力で叫んでいます。
本当に大事なのは「結果」よりも「過程」なんだ。
「未来」よりも「今」なんだと。
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