【小説・ミステリー】『絶唱』湊かなえ―著者の自伝的震災体験
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『絶唱』湊かなえ / 新潮社
⇧2019年6月発売。(文庫版)
ハードカバー版もあります。
<震災体験>
震災体験を平気で語れるのは、その中心地にいなかった人達です。
「食器棚から物が落ちて割れた」とか、「あのとき以来、電車の振動にも敏感になった」とか、お手軽な武勇伝として震災を扱ってしまいがちです。
一方、震災の中心地にいた人達には、もちろん物理的な損害や大切な人の喪失というショックもありますが、その後に生き残った人達同士のやりとりで心の傷を負ってしまうケースも珍しくありません。
たとえば被災者同士の、
「なんで助けに来てくれなかったの」とか
「皆が救助活動頑張っているのになんで逃げたの」といったやりとりです。
被災した瞬間は自分は被害者なのだから逃げて当然と考える人もいれば、
普通は身近で被災した友人を助けに行くと考える人もいるでしょう。
素人が救助活動をしたところで、二次災害が起こるだけだと言う人もいます。
本当に親しい者が生き埋めになって、まだ生きている可能性があるのなら、その場所から離れられるわけがないと言う人もいます。
ある友人を助けるために駆けつけた人間と、とにかく自分が被災地から避難することを最優先に考えた人間。
どちらが人間として優れているとか、状況判断が出来ているとかは置いておいたとしても、上記のセリフを言われて悪人扱いされるのは避難した人間です。
客観的に見ればそこまで責められることではないと思いますが、
当事者同士の会話の中にはそんな冷静さが介在する余地はありません。
責任感の強い人間ならば自分を卑怯な人間だとみなし、責められれば自分のとった行動を心底恥ずかしく思うことでしょう。
それをずっと引きずって生きていくのです。
著者がまさにそうだったようです。
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<あらすじ>
連作短編で4話収録されています。
最終話の『絶唱』がこの本の白眉です。
名前は変えられていますが、語り手(わたし=千晴)のベースはおそらく著者本人です。
「著者が南の島・トンガに住む恩人の尚美に向けて手紙を書いた」という体裁で描かれています。
「わたし」が大学4年生のときに、阪神・淡路大震災は起こりました。
そのとき「わたし」が住んでいたのは武庫川の古いアパートでした。
震災の被害地域ではありますが、震源地付近と比較すればまだマシな場所です。
地震は1月17日の朝6時前に起きました。
「わたし」は前日から徹夜で友人の卒業論文を手伝っていました。
明け方にようやく締め切りに間に合いそうなメドがつき、その直後にアパートが揺れ始めます。
揺れが収まってアパートを出たところ、アパートの壁にはヒビが入っていました。
アパートから数km離れた場所にある古い建物は崩壊していました。
電気、ガス、水道が止まり、コンビニに行っても食糧はすべて売り切れていました。
「わたし」はそこで、卒業論文どころではないことに気付きます。
停電はしばらくすると復旧しましたが、余震はまだ断続的に発生しているし、鉄道などの交通機関は機能を失っています。
つまりすぐに遠くへ避難できない状況です。
ようやくつながった電話回線で両親に無事を告げた「わたし」は、バイト先の同僚の菊田の実家に宿泊させてもらえることになりました。
アパートの友人は彼氏が迎えに来るそうです。
菊田の実家で数日間が過ぎた頃、「わたし」に電話がかかってきました。
相手は大学2年生のときの仲良し3人組の泰代でした。
彼女は、もう一人の3人組のメンバーであった静香が亡くなったことを告げます。
「わたし」は静香の葬儀に出席するために、指定された場所へ向かいました。
地震が発生してから、すぐに泰代は静香の住むマンションに駆けつけました。
静香の部屋がつぶれているのを見た泰代は、どうにか助けられないかと近づいてみようとして、マンションの他の住人に引き留められました。
自衛隊員を捜して事情を説明したものの、「生きている人優先」だと言われてしまいます。その時点では、本当に静香が部屋にいて生き埋めになっているのか分からなかったからです。
翌日になってようやく、消防隊員によって静香の遺体が建物から運び出されました。
泰代は「わたし」に問い詰めます。
「あの日、どうして来てくれなかったの?
わたしたち友だちだよね。
なんでわたしたちを置いて、自分だけ安全なところに避難できたの?
わたし、揺れが収まったあと、すぐに静香のところに行ったよ」
「わたし」は何も答えることができませんでした。
あの日は自分こそが被害者だと思い、助けられることばかりを考えていたからです。
「わたし」はこの日以降、罪悪感を抱えて生きていくことになりました。
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<著者の集大成?>
「自分と同量の勇気や行動力を示せない者を卑怯だと責め立てるのは、あまりに狭量だ」ということは容易いですが、それは理想論、客観論に過ぎません。
当事者同士の会話で、自分の方が卑怯だったと自覚すれば、罪悪感を覚えてしまうのは
仕方のないことなのかもしれません。
人間は誰しもが卑怯な部分を持っているので、著者の長年の苦しみに共感できる人は多いのではないでしょうか。
この本はオムニバス形式の短編集であり、第3話までは著者らしくない爽やかな話が描かれるのですが、最終話の『絶唱』でその予断は見事に裏切られます。
やはり著者のハードな心理描写は迫力が違います。
今回の作品は特に空気が張りつめていて、息が苦しくなるほどです。
とはいえ最後は爽やかに終わります。
希望に満ちた心地よい読後感です。
著者の集大成といえば言い過ぎかもしれませんが、長年の肩の荷をようやく降ろすことができた作品のようです。
この小説を読んでから、改めて著者の他の作品を再読してみると、また味わいが変わってくるはずです。
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