【小説・文学】『ブッチャーズ・クロッシング』―やりすぎ自分探しの旅
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『ブッチャーズ・クロッシング』ジョン・ウィリアムズ / 訳:布施由紀子 / 作品社
⇧2018年2月発売。
文庫化はまだされていません。
<自分探しの旅>
若い頃には、「自分探しの旅」に出かけていく人もいます。
これから自立しようかという年頃には、
親の庇護から離れた自分には一体どれほどの力があるのか、
自分の能力が社会で果たして通用するのか、
知ろうにも経験(=物差し)が無いので測りようがありません。
だから「自分とは何者なのか」、「自分には一体何ができるのか」という問いの答えを探すために、独力でありのままの自分の生きる力が、どれほどのものなのか試してみたくなるわけです。
そこで日本一周とか海外旅行とかに行くのです。
これが「自分探しの旅」です。
この小説の主人公・アンドリューズもそんな迷える若者です。
自分の力を試すために厳しい環境に身を置いてみたいと考えています。
家庭環境に恵まれたお坊ちゃんだから、そういうものに憧れるのだと言うことは簡単ですが、「自分とは何者か」という問いは時代や世代を超えた普遍的なものなので、
非難するようなことではないと思います。
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<あらすじ>
19世紀後半のアメリカ西部。
村とも呼べないレベルの小さな田舎の集落・ブッチャーズ・クロッシング。
主人公のアンドリューズは、自分の力を大自然の中で試してみたくて、そういう体験ができる場所を探していました。
酒場で出会った男に、過酷なバッファロー狩りの話を聞いて、金を払うからそこに同行させてくれるよう頼みます。
当時はその近辺でもバッファローはすでに狩り尽くされていて、他のハンターたちはもう潮時だと諦めかけていました。
しかし酒場の男は巨大なバッファローたちが隠れ住む穴場を知っていると言います。
ここからかなり遠い山の中腹にあるので、仲間と器材が要るそうです。
アンドリューズのお金で4人の仲間を雇い、馬や食糧、銃などを買いそろえます。
目的地の山に向けて旅立つも、アンドリューズは馬にもまともに乗れず、キャンプ能力は皆無で役立たずでした。銃も撃ったことがありません。
けれどスポンサーは彼なので誰も文句は言いません。
ようやく穴場に到着し大量のバッファローを発見するも、数が多すぎて仕留めきれません。欲をかいて仕留めまくったせいで時間がかかり、雪が降ってきて下山することが不可能になりました。雪は降りやまず、冬の間はなんとか山中で乗り越えることにします。
来る日も来る日も食べ物はバッファローの肉だけ。
次第に皆無口になっていきます。
心を閉ざす者、周囲を心配する者、一人でもなんとか山を降りたいと言ってきかない者、残りのバッファローを仕留めることで頭がいっぱいの者。
生きて帰れるか分からない状況が何週間も続きます。
心も体も極限のサバイバルです。
冬を越え、春が近づき、ようやく彼らは下山することができました。
しかしその後に、誰も予期せぬ展開が待っていました。
(本を読んで確かめてみて下さい。)
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<最高の冒険小説>
人物の仕草や自然の描写が色鮮やかに細部まで書かれているのに、文章のテンポが悪くなっていないのは不思議です。
作家としての力がとてつもないということです。
野性味あふれる冒険小説としても読めますが、さりけない格調高さも兼ね備えていて、
中だるみも一切なく、常に味わい深い香りが漂う物語でした。
山に行くまでの間も、山に閉じ込められてからも、極限状態の4人の心理描写や行動が迫真のリアリティで圧巻でした。
大自然の猛威に振り回さて、何度も生命の危機にさらされ、なんとかやりすごすことで精一杯の旅。
お手軽な悟りや発見などあるはずもなく、ただ死ととなり合わせの自然の無慈悲さ、理不尽さを垣間見るのみ。
自分探しの旅というにはあまりにも厳しすぎるものでした。
それでもアンドリューズが、もう帰りたいと弱音を吐いたり、旅は中止だと言ったりしなかったことは立派です。
なんとかブッチャーズ・クロッシングに帰ってきた彼は、一回りも二回りも大きくなっていました。
自分が何者かという答えは見つかりませんでしたが、生きていく力は劇的に向上したことでしょう。
そもそも1回旅に出たくらいで自分が何者なのか分かれば誰も苦労はしません。
自分探しにここまで命がけでやる必要はありませんが、ある程度の無茶は大事ですね。
自分探しの旅を「恥ずかしい青春の黒歴史」だと決めつけている方にこそ読んで欲しい小説です。
どういう結果になろうとも、行動しなきゃ何も変わらないのです。
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