【小説・ミステリー】『雪が白いとき、かつそのときに限り』―雪の密室と特別な才能
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『雪が白いとき、かつそのときに限り』陸秋槎 / 訳:稲村文吾 / 早川書房
⇧2019年10月3日発売。
『このミステリーがすごい!2020年版』海外編・第15位にランクイン。
著者は『元年春之祭』で「このミステリーがすごい!2019」海外編第4位を獲得して注目を集めている中国人作家です。
⇧2018年9月発売(早川書房)
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【小説】『雪が白いとき、かつそのときに限り』―雪の密室と特別な才能【ミステリー】
<トリックか動機か>
ミステリーの読者には、犯行のトリックを重視している人と、犯行の動機を重視している人がいます。
もちろん両方とも斬新さや奥深さがあるに越したことはないのですが、初めから二兎を追って期待しすぎるとハードルが上がり過ぎてしまうのでよくありません。
例えば『名探偵コナン』は、犯行動機よりもトリックを重視して作られています。
事件が起きた時の警察(または探偵)の捜査の方向性も同様で、大きく二つに分かれます。
場所や時間や立場という観点から犯行が物理的に実行可能な者を調べていくやり方と、
犯行の動機を持っている者を調べていくやり方です。
当然のことながら両方の見方で捜査が行われますが、トリックが解明されなければ事件(話)が終わらないので、トリックよりも動機が軽く扱われる傾向があります。
価値観が多様化した現代社会において、読者の誰もが共感できる「意外な犯行動機」はほとんどありません。
かと言って、ありふれた動機だと話がつまらないし、荒唐無稽すぎる動機だと読者は理解できずに興ざめしてしまいます。
つまり読者にとってちょうどいい納得具合の犯行動機を生み出すのは、非常に難しいのです。
逆に言えば、意外で斬新な犯行動機さえ思いつけば、すごいミステリーになる可能性が高くなります。
最近の話題作でいえば、『屍人荘の殺人』(今村昌弘 / 東京創元社)がそうです。
『元年春之祭』でもそうでしたが、この小説の著者も犯行動機に力を注いでいます。
もちろんトリックも二転三転するよう考えられています。
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<あらすじ>
舞台は中国南部・Z市のとある高校。(※共学)
主人公はその学校で生徒会長を務める2年生の馮露葵(ふう ろき)。
彼女は、同じく生徒会の寮委員である顧千千(こ せんせん)から慕われていました。
顧千千は陸上競技のスポーツ特待生としてこの学校に入って来ましたが、指導教師とモメて部を辞めることにしました。
それまで陸上部一筋で生活してきた彼女の勉強の成績はひどいものでしたが、それまでは陸上部があったから教師も手加減していました。
特待生という立場を失った彼女は、教師やクラスメートからも馬鹿にされるようになり、退学を考えるようになりました。
そんな顧千千を救ったのが馮露葵です。
前生徒会長から依頼を受けた馮露葵は、顧千千にマンツーマンで勉強を教え、授業に付いて行けるレベルにまで持っていってあげたのです。
馮露葵は次の生徒会長になるために仕方なく教えていることを明かしますが、そういった背景も分かった上で、顧千千は自分を救ってくれた馮露葵に感謝と尊敬の念を持つようになりました。
ある日、顧千千は馮露葵に相談を持ちかけました。
つい先日に女子寮でいじめ問題が発覚し、いじめていた生徒が退寮処分になり、その事件をきっかけに5年前のいじめの事件がウワサになっているというものです。
5年前の事件とはこういうものです。
当時寮でいじめられていた生徒が、ある冬の日の朝に、校内の事務棟の裏で遺体で発見されました。
前日の夜には雪が降っており、死亡推定時刻の午前3時過ぎにはすでに止んでいました。
遺体の側には、腹部を刺すのに使ったナイフが転がっていました。
現場の周りに積もった雪に足跡は一つもなく、事務棟の裏口の外側のドアには閂がかかっていました。
他殺だとすると犯人は現場から離れられなくなることから(雪による密室状態になるため)、警察は自殺と判断しました。
しかし血の付いたナイフの指紋は拭き取られていたため、他殺だったのではないかと疑う者もいました。
馮露葵は5年前のこの事件について調べ直すために、図書室で司書をしている姚漱寒(よう そうかん)を訪ねました。
姚漱寒はこの高校の卒業生であり、大学卒業後は母校に戻って司書になったのです。
二人は5年前のいじめの関係者に会いに行き、当時の状況を聞いていきます。
再調査の結果、馮露葵は事件のトリックと真犯人を指摘してみせました。
しかし翌日の朝、5年前の事件とよく似た状況の遺体が同じ場所で発見されました。(※雪の密室でナイフで刺殺された)
果たして、前日に披露された馮露葵の推理は本当に正しかったのでしょうか。
そして過去と現在に起きた事件のトリックは、同一のものなのでしょうか。
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<普通と特別>
馮露葵は事件の捜査をしながら、顧千千や姚漱寒とお互いの人生観を話し合います。
馮露葵は自分のことを突出した取り柄がない普通でつまらない人間だと思っており、陸上の才能がある顧千千を羨ましく思っています。
顧千千は陸上競技をやっていく未来が閉ざされたため、成績優秀でしっかり者の馮露葵を尊敬し、憧れています。
姚漱寒は自分の人生のピークは高校生時代だと感じており、現在の何でもない職業に収まって何のリスクもとらず、この先に劇的なことが何も起こらないであろう自分の人生に絶望していました。
そしてまだ女子高生で、未来が拓けている馮露葵を羨ましがっています。
他の登場人物たちも、誰かに憧れたり嫉妬したりしています。
つまりそれぞれが近しい人の才能や未来の可能性に憧れ、逆に自分をつまらない人間だと思っているわけです。
学生だろうと社会人だろうと、自分と他人を比較している限りこの悩みは続きます。
自分には何らかの飛び抜けた才能があるのか、それとも普通なのか。
自分の未来に希望を感じているのか、これからの人生に悲観しているのか。
自分の普通さを嫌悪するのか、それとも普通さに喜びを見出せるか。
これがこの作品のテーマでもあり、登場人物たちの共通の悩みでもあり、
犯行動機にも関係しています。
「青春本格ミステリー」と呼ぶのにピッタリな小説です。
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