【小説・文学】『1R1分34秒』―ひらいた表現で読むボクシング【芥川賞】
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『1R1分34秒』町屋良平 / 新潮社
⇧2019年1月発売。第160回芥川賞受賞作です。
<小説における格闘シーン>
この小説の題材はボクシングです。
主人公はプロボクサーで、練習風景や試合のシーンが描かれています。
格闘モノ(格闘シーン)を文章だけで描くのは難しいです。
映画やマンガだと映像があるので一目瞭然のシーンでも、文章だと直線的にしか状況説明ができないので、場面の全体像や動きを読者に伝えるのに時間がかかります。
単なるアクションシーン(刑事モノの追走シーンなど)だと漠然とした表現でも何となく読者に通じますが、格闘シーンは細かな描写がないと人物が何をやっているのか全く分かりません。
とはいえ逐一「右腕が、左足が・・」等と描写していたらテンポが悪くなって、シーンそのもののスピード感が失われます。格闘しているのにスピード感がないのは致命的です。
さらにマンガで使われる「ドカッ!、バキッ!」などの効果音も使えません。(小説の中(特に文学作品)に効果音が登場すると途端にダサくなります。)
つまり小説家が格闘シーンを描く際は、テンポを損なわない短い言葉で簡潔に分かりやすくした上で、迫力のある表現を追求しないといけないのです。
これは非常に難しいです。
スピード感もあって迫力抜群のカッコイイ格闘シーンを読みたい方は、夢枕獏さんの著作を手に取ってみてください。作品の数は多いですし、どれを読んでもカッコイイですよ。
そしてこの『1R1分34秒』でも、簡潔でテンポのいい格闘シーンが読めます。
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<あらすじ>
主人公は21歳のプロボクサー。
デビュー戦を華々しくKO勝ちしたはいいものの、その後は二敗一分けという戦績で気分は落ち込んでいました。
彼は試合戦略を立てる際は、感覚派ではなく研究派でした。
試合のビデオを見て対戦相手を分析した後は、対戦相手のジム周辺の環境をGoogle mapで調べ上げ、ブログやSNSをチェックして、そこでの発言と試合の動きとを関連付けて考えます。
そうして作り上げた相手の幻想に振り回されて結局負けてしまうのです。
トレーナーからは「考えすぎるのがお前の悪い癖だ」と注意されます。
とはいえ負けが続いてボクサーとしての未来も見えなくなった今では、負けた試合を何度も思い出して後悔する毎日を繰り返していました。
人生や社会について考えることに嫌気がさして、自暴自棄になって練習に励んでいました。
彼は次の試合でも結局負けてコーチからは見放され、新人トレーナーのウメキチの元で指導を受けることになりました。
最初はいい加減にこなしていた練習も、ウメキチの細かなアドバイスを受け入れていくことで、徐々にボクシングや人生に対して真剣に向き合い直すことになっていきます。
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<ひらいた表現の謎>
この小説の特徴の一つは、やたらと漢字をひらいているところです。
「ひらく」とは漢字表記ではなく「ひらがな表記にすること」です。
たとえば
「予め」ではなく「あらかじめ」、
「有難う」ではなく「ありがとう」
「因みに」ではなく「ちなみに」と表記することです。
「~して頂く」や「~して下さい」等は大抵はひらかれます。
ひらく意味(意義・目的)は、読みやすくすることです。
やたらと漢字の多い文章は読みづらく、読者にプレッシャーを与えてしまいます。
適度な割合で文章の中に漢字とひらがなが存在していることが、見やすさ、読みやすさにつながります。
しかしこの小説ではやり過ぎなくらいひらいています。
「おもった」「しった(知った)」「ぼくにもかれにも(僕にも彼にも)」「金にかんしては(関しては)」「つよかった」「海べ(海辺)」「とおくにいったこと」
など、漢字表記にした方が明らかに分かりやすいものまでひらいているのです。
読みにくくなることは著者も分かった上での表現でしょう。
著者の意図は何なのでしょうか?
この小説は主人公の一人称視点で描かれています。
名前は明かされず、ずっと「ぼく」で通されます。
(西尾維新の「戯言シリーズ」と同じです。誰も主人公を本名で呼ばないから苗字すら分かりません。)
どうやらその辺にヒントがあるのではないでしょうか。
主人公が負け続けてボクシングにも人生にも真面目に向き合えなくなった感覚、つまり現実からの浮遊感(世界をいい加減にしか捉えようとしないスネた姿勢)を表現しているのではないかと勝手に推理しました。
主人公の生来のマジメさ故の「振り切れない自暴自棄感」とでもいうのでしょうか。
テキトーに生きているとこういうフニャっとした世界認識にたぶんなります。
まあ、こういうのは正解はありませんので、好きに解釈して読むのが一番です。
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