【新書】『友だち幻想』―同調圧力に負けないで生きる
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紙の本も読みなよ / A-key-Hit
『友だち幻想』菅野仁 / 筑摩書房
筑摩書房から出版される新書には2種類あります。
「ちくま新書」と「ちくまプリマ―新書」です。
前者は大人向け。後者は「新書なんて読んだことないよ」という学生向けです。
この『友だち幻想』はプリマ―新書です。
それゆえ、非常に易しい文章になるよう配慮されています。
いつも岩波新書ばかり読んでいるような方には、高野豆腐のように甘くて食べやすいフニャフニャした感触を味わうことになるかもしれません。
行間など読む必要はなく、丁寧に解説され過ぎているからです。
しかし、初学者が読む入門書とはそうあるべきだと思います。
そして根源的な問題(テーマ)は、書かれている文章が柔らかいからといって、重要度が変わるわけではありません。
大人でも楽しめる絵本があるように、学生向けだからといって大人が見過ごしてしまうにはもったいない本も存在します。
この『友だち幻想』は、友だち付き合いに悩んでいるすべての人に読んで欲しい本です。学生とか大人とか関係なしに。
日本人なら誰もが「友だち100人できるかな♪」という歌を小学1年生のときまでに知っていた(聴いたことがある)はずです。
もうそこから「友だち幻想」が強烈に刷り込まれていると著者は説きます。
「友だちは多い方がいい」
「友だちは増やすように努力せねばならない」
というメッセージ(プレッシャー)が暗に含まれているからだと。
現代において、「友だち100人作る」というのは理想ですらなく、ただの幻想だということは現場の学生たちは気付いています。
しかし教師や親の世代の中に、それをまだ理想だと思っている人が一定数います。
それゆえに学生は非現実的な理想を押し付けられて、息苦しい生活を強いられています。「人と人のつながり」の強要です。
「クラスで一致団結しよう」「クラスは運命共同体だ」「みんな仲良く」
なんて言われたところで、どうしても合わない奴、嫌な奴というのは集団生活をしていれば当たり前のように存在します。
出来るだけ関わらずにいるという大人のスルースキルを発動しようにも、学校の規則や空気がそれを許してくれない。
SNSでつながっていないと孤立してイジメのターゲットになるリスクが高まるから、グループが嫌でも抜け出せないし、メッセージに即レスしなければ友情や愛情を疑われて非難されてしまう。
非常に馬鹿げていますが、学生たちはそこから抜け出す手段がない(登校拒否くらい?)ので、仕方なく我慢するしかない状況です。
トラブルや現状のさらなる悪化を避けるために。
大人なら人間関係が嫌なら仕事を辞めればいいのですが、
学生は親に学費を出してもらっているし、単身引っ越すわけにもいかないし、学校を辞めるという選択肢のハードルは大人よりもはるかに高くなります。
日本では、学生時代が最も「つながりを強要されるストレス」が高いかもしれません。
著者は「フィーリング共有関係」ではなく「ルール関係」を共有せよと説きます。
「フィーリング共有関係」とは、とにかくフィーリングを一緒にして、同じようなノリで同じように頑張ろうという考え方です。
「僕らは同じように考えているし、同じ価値観を共有して、同じことで泣いたり笑ったりする、結びつきの強い全体だよね」という考え方は、昔の学校・学級ではうまく機能していましたが、現代ではもはや通用しません。
一方「ルール関係」とは、他者と共存していくときに、お互いが最低限守らなければならないルールを基本に成立する関係です。
今の学校では、きちんとお互いに守るべき範囲を定めて、「こういうことをやってはいけないんだ」という形で、ルールの共有によって関係を成立させなければならない場となっているのだそうです。
これは学校に限らず、会社やあらゆる組織・集団にも当てはまります。
フィーリング共有だけで場がうまく回るというのは、もはやラッキーなことであって、価値観が多様化した現代では、お互いの違いを認めた上で、お互いに傷つけあわずに生きていくには、最低限のルールの共有が必要です。
「盗むな、殺すな」というようなシンプルで誰もが納得するルールが。
「自分を丸ごと受け入れてくれる人がきっといる」というのは幻想にすぎないので、
「自分が誰かを丸ごと受け入れる」必要もないのです。
人と人との距離感覚について、専門家である著者の意見を読んで見てください。
人間関係で悩んでいる方の参考になるはずです。
挿絵を担当された箸井地図さんは、僕の好きなイラストレーターです。
↓マンガも描いておられます。(作画担当)
←古本でのみ入手可能。(幻冬舎)