【エッセイ】『ご冗談でしょう、ファインマンさん』―いたずらが天才を育む
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『ご冗談でしょう、ファインマンさん』リチャード・P・ファインマン / 訳:大貫昌子 / 岩波書店
↑上下巻あります。
ファインマンといえばノーベル物理学賞を取った天才物理学者として有名です。
しかし、どういう学術的業績があったのかは僕は一切知りませんでした。
大抵の方がそうなのではないでしょうか?
ノーベル賞を取ったのは知っているけれど、何の問題を解決したのかは知らないというパターンです。浅~い知識です(^-^A
(ちなみにアインシュタインもノーベル物理学賞を取っていますが、「相対性理論」で受賞したわけではありません。「光電効果」です。)
余談ですが、
「ファインマン・ポイント」という言葉を数ヶ月前に知りました。
競技クイズマンガ『ナナマルサンバツ』で、です。
円周率を十進法で表記したときに、
クレジットカード番号の16桁すら覚えられない僕とは雲泥の差、いや、太陽とミジンコの差です。
クレイジーですね。
この本では、自伝的エピソードを交えながら著者の人生哲学について語られます。
上下巻ありますが、時系列順のエピソードの並び(ほぼ自伝)になっていますので、
上巻は幼少期のエピソードが多く含まれています。
僕は自叙伝を読むのも結構好きなのですが、その中でも、その方の幼少期のエピソードの部分が一番読みたい箇所です。
大人になってからの業績にはあまり興味はわかず、どういった子供時代を過ごして大人になったのかが気になるのです。
三つ子の魂百までといいますが、子供時代の癖、習慣、経験が、大人になってからの価値観形成や行動の軸になっていると考えているからです。
「子供の頃からこういうことをやっていたから、大人になってこういうことができるようになった」ということは、膨大な時間を費やして定点観測するしかないもので、
それは本人にしか語れない貴重な情報だと思います。
大人になってからの華々しい業績は、検索をすればどこにでも載っています。
誰に関してもそれは同じだと思います。
以上の理由から、僕には上巻の方が面白いわけです。
上巻では幼少期から、新人物理学者時代までが収録されています。
彼は生涯、いたずらをすることに非常に熱心でした。
単にユーモアがあるというだけでなく 、そのいたずらに深い意味があったりもします。
ただ周囲をからかいたくなった、ふざけたくなったパターンもありますが、
社会のつまらないルールを茶化すことで、その無意味さ馬鹿らしさをターゲットたちに気付かせるという意図も隠されているのです。
テキトーなイタリア語で周囲を騙そうとしたのは、ふざけているだけですが、
妻や両親との手紙への検閲が不満だったので、内容をパズルにして検閲官をからかったり、無駄に時間をかける施設の入口の検問がうっとうしいので、金網の穴(非正規ルート)から入って同じ検問を内側から出てまた穴から入ってを繰り返して、警備の杜撰さと無意味さをからかったりしたことには深い意図があります。
彼は学生時代のアルバイトで、ホテルの厨房での料理の段取りなどの効率的なアイデアを考案しましたが採用されませんでした。その時に、物事を刷新するには正論を述べたところで意味がないことに気付きました。
保守的な大人たちの行動を変えるためにはどうすればいいのか。
それは正論を振りかざすのではなく、いたずらでからかうことによって、自分のやっていることがどれだけ馬鹿げているのかを、自分で気付くように仕向けることです。
すごい発想です。
もともと賢い人の発想ともいえますが、こういう思想をもって行動したり考えたりするからこそ、大人になってもその独創性や想像力が衰えるどころか、より磨きがかかっていくのでしょうね。
こういういたずらを繰り返すことで、周囲も賢くなっていきます。
楽しいし面白いし、いいことずくめ。
一流のいたずらには哲学が潜んでいるのです。