【教育・自己啓発】『0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書』―豊かな人生とは何か
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『0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書』落合陽一 / 小学館
←11/29発売
今話題の本ですね。
近所の書店には売り切れで(?)置いていなかったのでAmazonにて購入。
以下、『ゼロヒャク』と書きます。(タイトルがかなり長いので)
ずっと気になってはいたのですが、買うのを躊躇していました。
落合氏のアツい講義(本書)を読んで、彼と自分を比較してしまい、
まだ何者でもなく何かを成し遂げたわけでもない自分の卑小さを実感し、
自己嫌悪に陥るであろうことが予想されたからです。
しかし、気になるものは買って確かめないといけません。
「気になっているけどリスクのあるもの」に手を出さなくなった瞬間から、人は老いていくのだと僕は考えます。
(結果として、僕の心配は杞憂に終わりました。)
『ゼロヒャク』の中でも紹介されていましたが、
2年前に以下の『LIFE SHIFT(ライフシフト)』(リンダ・グラットン)という本が出版されました。
『ゼロヒャク』を読む前にこっちを読んでいれば、よりすんなりと『ゼロヒャク』の内容が入ってきますし、『ゼロヒャク』で抽象的な記述で終わってしまっていてイメージがつかめなかった方は、後からこっち↓を読めば理解が深まります。
現在の平均寿命は80年くらいですが、これからの人の人生は100年続く時代だという主張の本です。
書店に行けば、おそらくビジネス書の棚に置いてあるとは思いますが、
内容としてはビジネスに限らず、あらゆる生活シーンが変化すると著者は説きます。
「さらに長寿になる」ということは、定年が延長になるかもしれません。
ではどういう働き方をしていけばよいのか。
健康をどうやってキープしていくのか。
教育は?結婚は?子育ては?
あるいは老後の資金はどうするのか。
AIなどのテクノロジーの劇的な進歩で、生活はさらにどう変化していくのか。
お金、時間の使い方、人間関係はどうしていくべきか。
そういった具体的なことが書かれています。
『ゼロヒャク』と合わせて読むべき本です。
『ゼロヒャク』は、落合氏の他の著作と比較してずいぶん平易な文章(言葉の選択、説丁寧な説明)で書かれています。どんな年齢層にも読めるようにという配慮ともいえるでしょうが、メイン読者は中学高校生といった学生を想定されていると感じました。
(「何のために勉強するのか」なんて、学生しか持たない悩みでしょう。)
父としての子育て論も語られていますが、それは他のメディア、対談、講演でも触れられていることですので、この本でしか知れない内容ではありません。
メインの主題は学び続けることの重要性です。
「特定の勉強の内容よりも、勉強し続けることを止めないことのほうが重要」
と著者は説きます。
たしかに僕を含めた多くの日本人は、大人(社会人)になったらほとんど勉強しなくなります。たまに資格試験のために勉強することはあっても、学生時代の勉強量と比較すれば大したことをやっているわけではありません。
それでも、その場のノリとテンション、マニュアルと先輩上司からの指示に従っていればなんとかなってしまうものです。
僕が社会人になって思ったのは「学生時代のあの終わりのない、キリのない勉強量と比べれば覚えることが圧倒的に少なそうだ。なんてラクチンなんだ。大人ってのはこんなにも気楽な身分だったのか」ということです。
はい、ダメな社会人の例だとは十分自覚しています。
とは言え学生時代からのお釣りで、そこそこのレベルでいいなら生きていけるのです。
しかしこのスタイルでは5年、10年先は通用しません。
激変する社会の流れに付いて行くためには勉強を続ける必要があるのです。
人生が100年続くのならば、10年前に学んだ知識は今から10年後には通用しなくなります。常に自分をアップデートし続けることがその対策です。
勉強し続けるという習慣は、若い時からの経験、行動の仕方、実践がものをいうので、
習慣化できていない大人がいきなりやろうとしても3日坊主で終わってしまいます。
とはいえ、長い人生の中で学ぶ習慣がなければ、どんどん自分の価値が下がっていくのは自明の理です。
落合氏ほど気張らなくていいので、毎日コツコツと積み上げていきましょう。
3ヶ月~半年あれば、習慣は苦痛のない自動化されたものへと変わります。
100年と比較すれば、3ヶ月なんてあっという間でしょう?
ただ、自分が100歳まで生きているというイメージが全く出来ません。
僕だけでしょうか?
5年後、10年後の自分の未来も想像できないのに、何十年後の自分が想像できるはずがありません。(僕の想像力の問題?)
そもそも僕は長生きしたいと思わない派です。
極端な話、明日死んでもあまり後悔しない自信があります。
「やり残したことはあるけど、そんなのいつ死んでも同じように思うはずだ」と考えます。戦国時代の人と比べれば、もう十分に生きたように感じます。
20歳になって無事に成人を迎えられただけでも、本来すごいことだと思うからです。
しかし、長生きしたいと思う方も多くおられるはずです。
はるか昔から「長生きしたい」という願望があって、技術が進歩して、人類はそれを叶えることができるようになりました。
(「何のために長生きしたいのか」という問いは重要ですが、論点が少し変わってくるので今は無視することにします。)
「人生100年時代」とは、
「100年生きなければならない時代」ではなく、
「100年生きたければ可能な時代」ということなのです。
「携帯電話」と同じです。
「携帯しなければいけない電話」ではなく「携帯も可能な電話」なのです。
必要なければ携帯しなくてよいのです。
「○○しなければならないもの」と捉えるから不幸になり苦痛になるのです。
(『LIFE SHIFT』ではそういう捉え方をしていたので、悲観的な未来像が多めに提示されていました。まあ読者の不安を煽るのは商品を売るための基本か。)
豊かさとは何か?
それは自分で選択できることだと思います。
何歳まで生きたいかを自分で選択できることこそ、「豊かな人生」というものです。