【マンガ】『ハーン 草と鉄と羊』―源義経=チンギスハン説を真剣に描く
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紙の本も読みなよ / A-key-Hit
『ハーン 草と鉄と羊』瀬下猛 / 講談社
⇧1巻は2018年4月発売。
最新刊の9巻は、2019年9月20日に出ました。
<義経=チンギスハン説>
「源義経=チンギスハン説」は昔からよく語られてきた歴史ミステリーです。
義経は壇ノ浦の戦いで平氏に勝利した後、兄の頼朝と対立します。
義経は命を狙われ奥州平泉に避難しますが、頼朝の圧力を受けた藤原泰衡に攻められ、最終的に自害したといわれています。(衣川の戦い)
ところが義経は実際は死んでおらず、蝦夷地(北海道)に逃げたという説が江戸時代前半に提唱されました。
さらに幕末になって、シーボルトが著書で「義経は大陸に渡ってチンギスハンとなった」という説を唱えました。
そして1924年に、小谷部全一郎の著書『成吉思汗ハ源義経也』がベストセラーとなったことで、誰もが知っている歴史ミステリーになりました。
日本人は悲しい運命にあった義経が好きなので、「本当は死んでいなかった」というエピソードが大衆に支持されやすかったのでしょう。
とはいえ「源義経=チンギスハン説」は学術的には完全に否定されているそうです。
チンギスハンはモンゴルでは伝説的な人物であり、その出自も神話として語られているため、本当はどうだったのかは曖昧です。
そしてチンギスハンが実際に活躍し出した時期と、義経が死んだ時期が一致しているため、同一人物説にちょっとだけリアリティがあります。
「本当にそうだったら面白いな」と我々の心をくすぐるわけです。
この漫画では、そんな「源義経=チンギスハン説」を真剣に描いています。
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<あらすじ>
1189年の蝦夷地(北海道)。
4年前に壇ノ浦で平氏に勝利を収めた源義経は、兄・頼朝の刺客から逃げていました。
以前まで彼は、父・義朝を殺した平氏への復讐のために生きていました。
しかし今は兄からの追手に殺されないために、無様に生き永らえているだけの逃亡生活をしています。
自分のちっぽけさに気づいた彼は、日本を出ることを決意しました。
そして船に乗って海を渡り、大陸までたどり着きました。
追手との闘いで大ケガを負っていた義経は、高麗の国境付近で力尽きて倒れます。
そして彼は、とある田舎の村の学者に拾われました。
彼はその村で体力を回復させ、学問(当時の中国情勢)もかじります。
彼が今暮らしている場所(国)は金といい、金は漢化が進んでかつての強さがなくなってきている時期でした。
ある日、狩りに行って村に戻って来た義経は、村人たちが皆殺しにされている場面に遭遇しました。
村人を虐殺したのは草原の遊牧民・タタルです。
彼らはかつては金の支配下にありましたが、今では中国とその西に広がる高原を統一しようと勢力を拡大していました。
この時代、中国とその西の高原地域では、遊牧民の部族間で覇権争いが繰り広げられていました。
いわゆる乱世です。
(⇩下図参照)
義経はタタルの軍勢の捕虜にされました。
そこで同じように捕虜になっていた、モンゴル部のジャムカと出会います。
義経とジャムカはそこで手を組むことにしました。
ジャムカは西の最強民族・ケレイトとつながりがあり、タタルから救助してもらうためにケレイトの戦闘員たちを呼び寄せていました。
ケレイトとタタルの軍団たちの戦闘に参加した義経は、タタルを撃退させるのに一役買いました。
そこで圧倒的な強さを示した義経は、ケレイトの軍人たちに気に入られます。
ケレイトの王のもとへ連れていかれた義経は、またたく間に将軍の地位まで上りつめました。
そこで彼は王を倒してケレイトを奪ってやろうと画策します。
果たして義経は、どうやってモンゴル帝国の王になっていくのでしょうか。
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<まとめ>
西暦1200年初頭の中国大陸が舞台です。
当時は、漫画『キングダム』と同じような戦国時代に突入しつつありました。
この作品では中国を含めたさらに西の高原までが描かれるので、その範囲は『キングダム』よりさらに広いです。
「義経=チンギスハン説」という設定でストーリーが語られます。
義経にいきなりモンゴルに行かせるのではなく、周辺国の金やタタル、ケレイトから徐々に説明していく過程は上手いです。
当時の状況が非常に分かりやすいです。
日本の戦国時代や『キングダム』の戦闘では、戦い方の形式のようなものがありましたが、モンゴルでの戦いは「とにかく勝てばいい」という容赦のない世界です。
『キングダム』とはまた違った戦国時代の様子を楽しめます。
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