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【小説・SF】『プレイヤー・ピアノ』—優れたディストピア小説は色褪せない

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紙の本も読みなよ / A-key-Hit

『プレイヤー・ピアノ』カート・ヴォネガット・ジュニア / 訳:浅倉久志 / 早川書房

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 ⇧2005年に新装版出版。(現在絶版。古本か電子書籍でのみ入手可能です)

 

 <ディストピア小説>

SFの中のジャンルの一つとしてディストピア小説があります。

多くは政治や経済などのあらゆるシステムが独裁政権によって統制・管理されている社会を描いています。

国民は生活を監視され、書類は検閲を受け、行動の自由も制限されています。

何も考えなくても生きていけるので、一見ユートピア(理想郷)に思えるのですが、個人の尊厳や意志がないがしろにされているので、一旦そのシステムに疑問を持つと生きづらい社会でもあります。

そしてそんな反抗的な思想を持っていることが周りや中央政権にバレたら、社会的地位を降格されたり抹殺されたり洗脳教育を受けさせられます。

 

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大抵の主人公は最初は身分が保証された安全な地位にいますが、社会に疑問を持ち、やがて反体制派に回るというストーリーです。

ガチガチに管理された統治国家の中で生きることは楽かもしれないけど、それはもうロボットと同じで、人間が生きてる価値や意味なんてないじゃないかというメッセージが込められています。

 

ディストピア小説の代表例は何と言っても

ジョージ・オーウェルの『一九八四年』でしょう。

ディストピア小説の代名詞といっても過言ではありません。

 

他には

『すばらしい新世界』(オルダス・ハクスリー)

『動物農場』(ジョージ・オーウェル)

『華氏451度』(レイ・ブラッドベリ)

 ・『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(フィリップ・K・ディック)

 

など多数あります。

別に20世紀に書かれたものばかりではなく、毎年新しい作品が出されるくらい人気の定番ジャンルです。

昔に書かれたものの方が時代の淘汰を経ているので、今でも残っているのは名作ぞろいだというだけです。

 

 ジョージ・オーウェルが『一九八四年』をイギリスで出版したのが1948年。

この『プレイヤー・ピアノ』がアメリカで出版されたのが1952年。

この頃の世界情勢は第二次世界大戦直後でまだピリピリしていたのでしょう。

そのせいか世界的にこういったディストピア小説が、危機感を持った作家たちによってどの国でも書かれていたのではないかと思います。

つまり冷戦が第三次世界大戦に発展しかねないという恐怖です。

ソ連や中国をはじめとした共産主義全体主義が世界に広がっていくのを恐れていたんですね。時代の空気感が伝わってきて、昔のディストピア小説は味わい深いです。

 

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 <あらすじ>

 ニューヨーク州にある架空都市イリアム市は大きく二つの区画に分かれていました。

北には管理者と技術者が、南には市民の大半が居住しています。

機械文明が発達して、今やほとんどの仕事は機械がこなしています

市民はする仕事がなくて、軍隊か道路住宅補修点検部隊かのどちらかに入るしか選択肢がありません。

戦争もなく建造物の破損もめったに見つからないため、皆待機しているだけの仕事です。やりがいがなく、市民は誇りを失っていました。

 

北に住むエリートであるポール・プロテュース博士は、これまで順風満帆の人生を歩んできました。

ある日、彼のもとに古い友人が訪ねて来て、旧交を温めるうちに次第に南の区域で過ごす時間が増えてきました。

 やがて彼は今の生き方や社会の体制に疑問を持つようになり、反体制派のグループと関わるようになります。

それがバレて彼はエリートの身分を剥奪されてしまいました。

 

彼はかつて知り合いだったエリート層の人々に、

「現状の体制だと人間は尊厳を持って生きていくことができないから社会を変革すべきだ」と訴えますが、当然聞き入れてもらえません。

そして彼の信念に呼応するかのように、各地で機械を破壊する暴動が起こり始めました。

 

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 <まとめ>

現在ではAIがいずれ人間の仕事を奪ってしまい、多くの人が失業するという未来がまことしやかに囁かれています。

一方で、人間が仕事から解放されたら、やりたい事にもっと時間を割けるようになって、より人生が楽しくなるという説もあります。

 

この小説では「AI」という言葉こそ登場しませんが、機械が発達すれば人間はやることがなくなって、仕事に誇りを持っていた人たちは尊厳を持って生きていけなくなるという未来像を描いています。

人間がやる仕事がなくなるというビジョンは同じですが、その時代に生きる人たちは楽しそうではありません。

 

仕事に誇りを持つのはいいことですが、仕事にしか誇りを持てないのは問題です。

仕事以外で誇りをもつことは出来ないと、昔は思われていたのかもしれません。

大人は仕事しかやることがないと思われていたのかもしれません。

現在でもそう考えている方もおられますね。

そういう方はAIに仕事が奪われたときに、この小説の市民のように抜け殻になって生活していくことになりかねません。

 

機械に尊厳や誇りを奪われないためには、仕事以外にも誇りを持てるものを見つけておく必要があるのです。

この『プライヤー・ピアノ』はそういった警鐘としても受け取れます。

60年以上前の作品ですが、今読まれてもそのテーマ性はまったく色褪せて見えません。

 

 

たしかに機械に代替されない仕事もあると思います。

この小説ではなぜか「散髪屋」が機械化されていません。

ジョークなのか、一種の皮肉なのか、物語で一番気になった謎でした。

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