【ノンフィクション】『拷問と医者』―なぜ拷問に加担するのか
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『拷問と医者』ゴードン・トーマス / 訳:吉本晋一郎 / 朝日新聞社
⇧1991年4月発売。
(現在絶版です。古書即売会で買いました(700円))
タイトルに惹かれました。
<医師の倫理観>
「ヒポクラテスの誓い」というものがあります。
医師として高い倫理観をもって医療にあたるべしという宣誓文です。
医学部の卒業式や仕事場で暗唱が求められたりするそうです。
医師というものは、金銭目的だけで医療を施すのではなく、人の健康と尊厳を守り、自分の持てる技術と知識を患者に奉仕し、患者の秘密を守りましょうという内容です。
医療従事者でなくても、医者という者はそうであってもらわねば困ると誰もが考えているはずです。
高い倫理観と責任感を持った行動をするはずだと。
他人の体を触ったり切り開いたりするのだから当然です。
そうでなければ気軽に病院に行けません。
しかし世の中には、そういった宣誓をしたはずなのにもかかわらず、その内容とは真逆の拷問や残酷な行為に手を染めてしまう医者もいます。
彼らはなぜそうなってしまったのでしょうか?
最初から残虐性を秘めていたのでしょうか?
途中で心変わりしたのでしょうか?
この本ではそんな医者たちの背景に迫ります。
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<拷問に加担する理由>
「おそらくこういう理由だろう」と安易な推理をするのは簡単ですが、
それでは本質に迫れないという著者の判断により、一つの事例に多めにページを割かれているので、結局この一冊で数例しか紹介されません。
シーア派イスラム原理主義の政治武装組織・ヒズボラに所属し、CIA要員に対して医療行為を悪用したアル・アブーブと、
CIAの依頼でマインドコントロールの実験台に、何食わぬ顔で自分の患者を仕立てたアメリカ人医師・キャメロン。
この2例がメインにページが割かれています。
けっこう特殊な事例に思えますが、
そもそも「医療技術の悪用による拷問」と「諜報活動」はかなり結びつきやすいのだそうです。
医師と政治・インテリジェンスはつながりやすいのです。
たしかにただのヤクザの抗争に医者はあまり立ち合わないでしょう。
金で雇われたり、家族が人質にとられてやむなくというパターンもあるでしょうが、
この本で紹介される人物たちの根底にあるモチベーションはそうではありません。
アル・アブーブの場合は
自分たちの主義思想に反対する者は全て敵であり、イスラムの教えを信じられない者は人ではないので、彼ら(CIA)に残酷な拷問をしてもそれは非人道的な行為にはならないという理屈です。
極端な二元論です。
医療技術と知識を持っているのが彼一人だけなので、テロ組織内で特権階級的な地位を与えられ、仲間から尊敬される人物として見られることが気持ちよくなったことで組織から抜けられなくなったという一面もあるようです。
キャメロンの場合は、
自論の正しさを盲目的に信じていて、それを周りに証明するために暴走してしまったパターンです。
自分が行っているのは画期的な医療行為である。つまり正義である。しかしそれを理解できないほとんどの患者は、怖がって手術を受けたがらない。だから無理やり断行したのだ。これは患者のためなのだ・・という理屈です。
人の話に聞く耳持たない人の暴走ほど狂気的なものはありません。
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<医療技術を盲信するな>
医療技術は日々進化し続けています。
しかし一般人が最先端の医療行為を初めて見たり聞いたりしたときは、
安全だと言われても、なんだか怖く感じるはずです。
今まで知らなかったものには警戒感が働いて当然です。
マンガやドラマの『JIN - 仁』(村上もとか/集英社)でもあったように、
江戸時代の人間の目から見れば、腹を切り開いたり頭に穴をあける手術は野蛮で非人道的な所業に映ります。
現代では当たり前の輸血ですら、人間としての倫理から外れる行為として咎められた時代もありました。
医術とは、その仕組みを知らない者からすればどれも野蛮で残酷で非倫理的な行為に見えるものなのです。
かといって時代が進めばその手法の残酷さが全て正当化されるわけではありません。
理論的に間違っていることもあるからです。
例えば20世紀には精神疾患(鬱病)の解決策として、脳の前頭葉を切除するロボトミー手術が流行った時期がありましたが、副作用がありすぎて、現代では実施されていません。(この本のキャメロン医師がまさにロボトミー手術を積極的に繰り返しました。)
悲劇を生まないためには、たとえ「最新の医療技術なので大丈夫」と言われても、
我々は皆、警戒感を持っていなければいけないのです。
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