【マンガ】『ランウェイで笑って』(9巻)―デザイナーは見ている世界が違う
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紙の本も読みなよ / A-key-Hit
『ランウェイで笑って』猪ノ谷言葉 / 講談社
⇧2019年2月15日発売。
コミックの刊行ペースがずっと2ヶ月に1回(隔月)で持続しています。
次の10巻の発売予定日も2ヶ月後(4月17日)になっています。
週刊連載の中でも驚異的なスピードです。
読者としては嬉しい限りですが、頑張りすぎでは?
著者の体調が心配です。
<あらすじ>
ファッションデザイナーになるのが夢である高校生の主人公・津村育人。
母子家庭で母は病気で入院中。
4人兄弟(育人が長男で妹3人)で経済的にも苦しかったため、進学を諦めて就職しようと考えていました。
しかしパリコレモデルを目指しているクラスメートの千雪の計らいで、プロのデザイナー事務所で働けることになります。
それなりに忙しい毎日を送っていましたが、プロのファッションデザイナーを目指す以上は、いずれは自分のブランドを持ってファッションショーにも自分の服を出したいと考えるようになります。
というよりも、プロというものはそういうものです。
誰かのデザイナーの元で手伝いをしているだけでは、給料をもらえていたとしても、プロのファッションデザイナーとは言えません。
芸華大学でファッションショー(芸華祭)が開催され、参加者は学内だけでなく、一般からも公募されていることを職場の同僚のつながりから知ることになりました。
育人は予選も見事突破して、いよいよ本選に参加できることになります。
芸華祭でのその年のテーマは「わ」。
育人は「調和」という解釈のもと、男女の調和と各国の代表的ファッションを巡る構成で、見事観客の注目を集めることができました。
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<著者渾身の第70話>
育人がライバル視してやまない青年・綾野遠(とお)。
彼は世界的に有名なデザイナーを祖母に持ち、小さい頃からファッションデザイナーとしての英才教育を受けてきました。
経歴、経済力、技術、才能、センス、あらゆる点で育人を上回っており、
芸華祭の観客たちの中には、彼のショーだけを観に来ているバイヤーたちが大勢いました。注目度も格別だったのです。
そんな彼のショーが第69~70話に収録されています。
その中でも圧巻なのが、第70話です。
全部で20ページですが、そのうち後半の15ページがセリフ(言葉)が一切なく、絵だけで物語が進みます。
連載マンガにおいて、その75%に一切言葉がない状態というのはかなりリスクの高い表現です。絵だけで説明すると、読者に読み飛ばされる可能性が高まるからです。
(『バクマン』で新妻エイジが同じことをやっていましたね。)
ほとんどの読者は、絵を細かく見ようとしてマンガを読んでいません。
それでも絵だけの構成にするのは、そうとう作者に自信がないと出来ませんし、
もちろん絵だけで説明できる表現力がないと出来ません。
「圧倒的なものは、言葉では説明できない」というメッセージかもしれません。
ここでいう圧倒的なものとは、綾野遠の才能です。
主人公・育人のデザインした服を超えていると、読者の誰もが納得できるデザインと演出で描かれます。
育人の服もすごいと思いましたが、それを超えるものを考えた作者の発想にも驚かされました。
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<デザイナーは一般人と見ている世界が違う>
結局育人は、芸華祭では10位にも入れない結果に終わりました。
その敗因は「デザインがリアルクローズに寄り過ぎていた」ことでした。
いわゆる我々が普段着ている服のことを「リアルクローズ」といいます。
意味は「現実的な」「日常的な」「普遍的な」。
それに相対するのが「モード」。
意味は「非現実的な」「自由な」「夢のある」。
どちらも同じ服ですが、求められているものが違うそうです。
前者は世間を調査して、大衆に受け入れてもらえるように作りますが、
後者は自分のセンスと力を、自由な発想で表現することを優先するのです。
囚人服であったストライプ・ボーダーを普通に着られるようになったのも、
労働者の作業着だったデニムが定番アイテムに加わったことも、
全ては自由な発想の「モード」から生まれて、「リアルクローズ」に降りてきたものなのだそうです。
最後に育人は審査員からこう言われます。
「デザイナーは新しいファッションを見つける義務がある。
それがコレクション(ファッションショー)の意義だ」と。
僕は常々、「ファッションショーには変な服ばかり登場するけど、実際に誰があんなのを着て街を歩いているんだ?無意味じゃないか」と思っていました。
このマンガを読んで、その謎がようやく氷解しました。
デザイナーは大衆に流行するような服を考えるのが仕事じゃなくて、新しいファッションを見つけるために試行錯誤していたのですね。
革新的なことをやろうとしているのだから、一般人の目からは奇抜に見えてしまうのは当然のことだったわけです。
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