【マンガ】『響 小説家になる方法』11巻―天才の進路の選び方
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『響 小説家になる方法』柳本光晴 / 小学館
⇧2019年1月30日発売。
<これまでのあらすじ>
デビュー作『お伽の庭』が、芥川・直木賞同時受賞により世間で話題になり、
全国高校文芸コンクールで文部科学大臣賞を受賞。
顔を隠し、取材も一切断ってきた努力も空しく、
10巻でその正体が世間にバレてしまった主人公・響。(女子高生)
マスコミに騒がれすぎて日常生活がままならなくなり、退学を余儀なくされます。
ちょうど高校2年の春休みだったので、マスコミ回避のために海外(フィンランド)へ行っていました。マスコミの騒ぎが落ち着いてきたので、新学期に入るとともに、帰国して再入学するところから11巻は始まります。
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<11巻のあらすじ>
響ももう高校3年生。(1巻は高校入学シーンからスタート。)
破天荒な(?)毎日を送ってきた彼女も、世間の高校生と同じように、自分の進路について考え始めます。
担任の教師との進路相談面接に始まり、クラスメートやバイト先の店長、ベテラン作家たちに「進路の決め方」を聞いて回ります。
小説は好きだけれど、作家になるというビジョンもまだ現実感がなく、
かといってどこかの大学に特別行きたいという願望もありません。
誰に聞いても、どうもピンと来なくてイマイチ参考になりません。
最終的な結論としては、
「高校の今、将来を決めてその通り進む必要はないみたい。
私が当面やりたいこと。
外国の小説も気になる。海外に行く。
今は仕事に興味はない。これからは留学のための勉強に集中する。」
というものになりました。
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<天才の進路の選び方>
イギリスに留学し、まずは英語を習得する。(英語の小説を読めるようになる)
次にオランダ語、ドイツ語、フランス、イタリア・・・という方針を担任の教師に説明します。
世間では「天才女子高生作家」という肩書きで呼ばれていますが、担任からは
「天才ってこういうものか。俺には、とんでもないアホにしか思えない」
と言われます。
まあ保険をかけたり、無難な方法を取ろうと考えたりしていないので、担任の教師の意見も分かりますが、響は自分がやりたいことを素直に実行しようとしているに過ぎません。
けれど、「進路の選び方」というのは、本来そういうものなのではないでしょうか。
「自分にはそんな圧倒的な才能がないから無難な道を選択するしかない」とか、
「やりたいことをやるのは、お金を稼いで余裕が出て来てからでいい」とか、
多くの人が自分や周りに言い訳しながら、やりたいことをする道に進む自信の無さから目をそらして生きているのではないでしょうか。
確かに響には文才という圧倒的な才能があります。
だから自分に自信が持てて、やりたいことをやる道を選択できたのでしょうか。
僕は違うように感じます。
これまでの彼女の生き方を見てきた方なら、たとえ彼女に文才がなくても、やりたいことをやる意志の強さは変わらずにあったように思えないでしょうか。
このマンガでは、響の圧倒的な才能に周りが嫉妬したり、自分と比べて絶望したり、羨望の眼差しを送ったりします。
「才能があるからこそ、傍若無人で無礼千万な態度や生き方でも許される」というメッセージとして解釈してしまいがちですが、最近はそんなことないのではないかと思うようになりました。
才能がなくても、好きに生きようとしても別にいいのでは?
才能があるにこしたことはないのですが、自分に何の才能があるかなんて分からないわけですから、やりたいと思ったことは何でもやってみるべきなのではないかと、僕は考えるようになりました。
一番ダメなのが、やってもいないのに、色々頭の中でだけで考えて諦めてしまうことです。これは完全に自戒ですが、やってもいない人間がウダウダ言う資格などないのです。人生や才能について語る資格も。
この巻で登場した響のバイト先の先輩は、やりたくもない仕事を続けていて鬱屈した毎日を送っていましたが、響に焚きつけられたことで行動を起こし、彼の人生で何かが変わったかもしれません。
まずは、やってみること。
人生において正しかったか、間違っていたかの判断はその後でいいんです。
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