【小説・文学】『キャッチ22』―ポップだから伝わる反戦論
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『キャッチ22』ジョーゼフ・ヘラー / 訳:飛田茂雄 / 早川書房
↑2016年に新装版。旧版は1977年出版。
時は第二次世界大戦末期。
中部イタリアのピアノーサ島にあるアメリカ空軍基地が舞台。
主人公・ヨッサリアンはとにかく生き延びたかった。
戦闘機で出撃したくない。殺されたくない。死にたくない。
出撃命令を回避するために仮病を使ったり、通信機をわざと壊して通信がつながらないようにして帰還したり、狂ったフリをして嘘をついて逃げることで頭がいっぱい。
不真面目な軍人といわれようと、とにかく故郷に帰りたい。
いつ殺されるともしれないこんな場所にいつまでもいたくない。
上司の大佐や少佐は、見栄や外聞をよくすることに血道を上げ、出世競争に主眼が向いています。軍医はこの現場に納得がいっていません。
全員が頭のおかしい狂騒の中にいます。思いやりは脇によけられ、自分の都合を声高に叫ぶ。戦争が早く終わって欲しいと誰もが思っているのに、自分が出撃して終わらせたいとは考えていません。
命知らずのバカはすぐに死ぬか行方不明になります。
ブラックユーモアの群像劇。
軍人たる者、常に勇敢であれというのは理想論です。
ホントは多くの人が「もう嫌だ」と思っていて、早く戦争終わってくれないかなと祈っているもの・・・という方が、リアルな気がします。
戦闘狂以外はそれが当たり前です。誰だって死にたくない。
上司の理不尽な命令に振り回され、最前線の兵士たちはいつだってゴミくずのように無意味に死んでいき、そういう出撃命令と結果が何度も繰り返されます。
主人公はふざけているようでいて、どうやったら生き延びる可能性が上げられるかを常に考えているといえます。思考停止してしまったら、上司の命令にバカ正直に従うことしかしなくなり、すぐに死んでしまいます。
普段の生活だけでなく、生き残るためにもユーモア感覚が必要なのです。
反戦を謳った小説や評論は世の中に数多く存在しますが、どれもがマジメで、重たい話に終始しているものです。
人の死について語るわけですから当然の姿勢とは言えるのですが、如何せん堅苦しいものになってしまうことは否めません。
重苦しい話には人はほとんど耳を傾けてくれません。
伊坂幸太郎『重力ピエロ』に
「本当に深刻なことは陽気に伝えるべきなんだよ」
という名台詞があります。その通りだと思います。
『キャッチ22』という小説は、物語やキャラクターをコメディのノリに限りなく漸近させることで、戦争のうんざり感を非常に上手く表現しています。
不謹慎だと嫌がる方もおられるでしょうが、ブラックユーモアはテーマの重苦しさを取り去って、幅広い読者に伝えることができる表現技術の一つですし、著者の苦心・工夫の形ともいえます。
戦後少ししか経過していない当時のナーバスな日本人には、もしかしたら受け入れ難かった小説かもしれません。
アメリカはその辺の懐が広いですね。
戦争を知らない我々は、こういうポップな入口を用意してもらえることで、
戦争について考える契機を作ることができます。
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