【小説・SF】『一九八四年』―ディストピアの代名詞
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『一九八四年』ジョージ・オーウェル / 訳:新庄哲夫 / 早川書房
SF好きでこれを読んでいないならモグリ確定です。
大体のディストピア小説はこの『一九八四年』を意識して書かれています。(たぶん)
それほど歴史的、記念碑的な作品です。
「オーウェル読んだ」と言えば、「『一九八四年』読んだ」とほぼ同義です。
評論などで「~とオーウェルが言っていたように」という文章がでてきたら、
「~と『一九八四年』で書かれていたように」ということです。
つまりオーウェルの代表作でもあります。
他にもいい作品はあるのですがこの小説が有名になりすぎました。
欅坂46のサイレントマジョリティ―みたい。(1作が大ヒットし過ぎて他がかすむ)
新訳が高橋和久氏によって2009年に出されていますが、旧訳版(1972年出版)を読みました。
でも読みにくさはありませんでした。古いと翻訳文も古臭いものになってしまっている場合がありますが、この小説に限っては全く気になりません。
70年前に書かれた作品ですが、現代でも全然色褪せない輝きを放っています。
何度読み返しても新しい発見があります。
ディストピアものは正直、これ一冊で事足ります。
これを越える作品は今後も生まれないでしょう。
全体主義国家におけるビッグブラザーという指導者のもとで民衆は生活しています。
人々は公共の場はもちろん、個人の生活のすみずみまで監視されています。
主人公は歴史の改ざんが仕事です。
思想統制も行われています。
「ニュースピーク」という新しい言語を使うよう強制されます。
それは名詞と動詞の区別がなかったり、人間の思考を縮小するような文法・システム。
独裁者は言語を操作することで人間の考え方を支配できるという主題です。
人間は主に言葉を使って思考するわけですから、その道具(言葉)をコントロールされたら、それはもう思考をコントロールされていることと同義です。
怖いですね。
つまり、なんでもかんでも「ヤバい」「カワイイ~」としか言わない人は思考力や表現力が減衰していると思った方がいいということです。
感受性が鈍るのは短期的に起こることではなくて、徐々に蝕まれていきます。
すぐに自覚できないし修正できない点がヤバいです。
『スケットダンス』のヤバ沢さんなんか超ヤバいわけです。
良い意味でもヤバい意味でも使える「ヤバい」という言葉は便利でヤバいですが、
そのヤバさを本当に理解できなくなるのはヤバいことです。
「ヤバい」という言葉以外にもヤバいほど便利な言葉が現代にはヤバいくらい溢れているので、現代人のヤバさは今ヤバいレベルに達しているのです。
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