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【小説・文学】『阿部一族』—名誉と汚名は紙一重のタイミング差

阿部一族森鴎外 / 新潮社

現代日本切腹する者の気持ちを理解できる人はいません。たぶん。

昔はそういう文化があったけど、機会があれば自分も実行したいとは思いません。

「殉死」という風習ももう共感されにくいのではないでしょうか。

殉死とは敬愛・崇拝する主君が亡くなったので、自分も後を追って死ぬことです。

 

この小説は1913年に発表されました。(今から100年前!どおりで読みにくいわけだ)

前年に明治天皇崩御され、乃木希典陸軍大将が殉死しました。

当時は社会的にそのことで議論が盛んだったとか。

だから殉死を扱ったこの小説は非常にタイムリーな題材だったようです。

 

 江戸時代初期の頃(1641年)。

肥後藩主・細川忠利の病状が悪化し先が危ぶまれた。

配下から敬愛されていた忠利は、側近たちから次々と殉死の許可を請われる。

「お前はOK、お前はダメ」と一人一人、自分の後を追って死んでもいいか許可を出したり殉死を禁じたりした。(禁止されたのに勝手に殉死したら罪。)

殉死してもいいという許可をもらえた者のみ、殉死は名誉となる。

阿部弥一右衛門も殉死の許可を乞うが、反対される。

(マジメに職務に励んでいたが、なんとなく気に入られてなかった。)

忠利が死去したので旧臣たちが次々と殉死してゆく。

弥一右衛門は忠利の遺言どおり勤務を続けた。

だが彼が命を惜しんでいるかのようなウワサが立ち、そうではないことを証明するために切腹をしてみせる。しかし、遺命に背いたことが問題となり、阿部家は藩から殉死者の遺族として扱われず、家格を落とす処分をされた。

 

ヤンキーマンガでよくありますが、

「お前、ビビってんじゃねーの?」「ビビッてねえわ!」というやりとり。

もう「ビビッてんじゃねえの」と疑われた時点でかなり名誉が失われているといえます。ビビッてないことを証明するために行動が必要になります。

弥一右衛門も切腹が怖くて殉死しなかったんじゃないことを証明しないとこれからの人生、周囲にナメられて過ごすことになります。武士やヤンキーにとってナメられた(侮られた)状態というのが一番耐えられないことです。

 

しかし、本心でビビッていなくても即行動に移さないと、ためらっていると見なされて「ほら、今もビビっている」という烙印が押されてしまいます。

弥一右衛門は切腹には成功しましたが、他の殉死者たちからそこそこ遅れて実行したので、印象としては「ビビッていたから皆のようにすぐに出来なかった」と見られます。

そして遺言にも背いたので、同じことをしたのに彼だけが罪人となります。

 

タイミングがわずかに違っただけで、名誉を得た者と汚名を着せられた者に極端に評価が割れてしまう結果になりました。やったことは同じなのに。

ほんのささいなことで、人生の理不尽さを一身に背負うことになる悲哀。

彼はどこで間違ったのだろう?どこで失敗した?

 

現代社会でも少しタイミングが違うだけで、評価が大きく変わってしまうことがあると思います。でもタイミングって「運」じゃないの?

どうやってタイミングをはかる訓練をすればいいのでしょうか。